マンゴー到来 in パキスタン
 今は夫婦共に日本にいる我が家です。昨日、夫ベーグが、弊社イスラマバード事務所スタッフとの電話切った途端、いいました。「<マンゴーが食いたいなぁ」。
 
 ご存知ない方が多いでしょうが、パキスタンはマンゴー大国、マンゴー天国なのです。こ、これは、もう本当に!美味い。そのマンゴーの季節が到来しました。

    ↓近所のバザールで 種類はいろいろあって8月頃まで楽しむことができます
   マンゴー到来 in パキスタン_d0106555_8202652.jpg

 スタッフは忙しくて夕食に出かけるのも面倒くさくなってしまったとかで、買ってきた15キロものマンゴーを、オフィスの応接セットで食べながら夜を過ごしているらしいのです。じっとりと暑い空気にただようマンゴーの濃厚な香り、汗をかきながら食べる、ねっとり実に甘いマンゴーが思い出されます。(手をベタベタにして食べているんだろうなぁ)。日本で食べるように1個食べて終わりじゃないのですよ。15キロも買えばねぇ・・・いいなぁ。
 ベーグは「マンゴーがなくなっちゃったら、パキスタン人、死んじゃうだろうなぁ」と叫んでいます。(そんなオーバーな、とは思いますが、まぁ、心情はでていますね)。

 このマンゴー、一級品の多くが、中東や欧州へ輸出されます。ごれもご存知ないでしょうがパキスタンはオレンジでは世界第2位の輸出国です。そのオレンジに続き、輸出されているのがこのマンゴーです。

 絶品! マンゴージュース
 このマンゴーのジュースがまた絶品! 日本のジュースのように品の良い感じはなく、ドーンと大きなグラスで、今、搾ったばかりのマンゴージュースが、ストローで吸うのも大変なくらいの濃さで出てきます。驚きの美味しさです。これだけ美味しいと、ベーグが「日本のジュースは全然おいしくない」というのも全く否定できません。
 日本の方々もひとたび、この味を覚えられると、それはもうユーラシア横断のバックパッカーから、政治家の奥さままで、このマンゴーに夢中になられるのを私は見てきてました。「中国で、パキスタンに行ったら美味しいマンゴーが食べられるというウワサを聞いていました」と、シルクロードを横断して来た若者が話してくれたこともありました。

 私自身、マンゴーのささやかな思い出があります。それは結婚前、ベーグの運転するジープをパキスタン北部の故郷へと長距離ドライブしていたときのこと。ジープが大きく揺れるたびに、ジープ後部から、何か・・・かぐわしい香りが漂ってくるのです。「この香りは?」と聞くと、それはカートンで買って乗せてあったマンゴーの香りでした。「後で食べようね」と、彼がいったこともなぜか覚えています。(あの頃は今よりも優しかったな)、もうずいぶん昔のことです。実際、食べたかどうかは記憶の彼方にいってしまったのに、かぐわしい香りだけが印象に残っています。

 走っても走っても続くマンゴー畑
 マンゴーの産地はパキスタン南部、パンジャーブ州やシンド州です。
 
 産地では、幹線道路をはずれるとマンゴー畑があらわれ、走っても走ってもそれがずーっと続き、その中をドライブしたことがあるよ、と夫。ソ
 フィア・ローレン主演の映画『ひわまり』のひまわりならぬ、パキスタンのマンゴー畑が延々と続くその風景が目の前に浮かぶようで・・・それを想像して楽しんでしまいます。
 
 マンゴーの木は大きいですから、みどり色の中に落としたような小さな黄色がどこまでも続く風景。わざわざ行ける場所ではないのですけれど、いつか行ってみたいですね。

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# by silkroad_caravan | 2007-06-03 08:37 | パキスタンあれこれ
 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇
 アフガニスタンクーチーと呼ばれる遊牧民たちがいます。クーチーは、”生活もろとも出発する、発つ”という言葉の意味です。夫ベーグはアフガニスタンを取材中に何度も彼らのキャラバンを目にし、知り合いも何人かいるようです。
 彼らは大所帯、大家族をひとつの単位として、何十頭ものラクダや、何百頭もの山羊・羊・ロバ・馬・犬たち、そして手作りのテント、家財道具もろとも、アフガニスタンを拠点に、ウズベキスタンやタジキスタンへ、あるいはパキスタン、インド、イランと、国境をまたいで移動しながら生活して来ました。北から南まで、気候にあわせて、草を求めて、国境など関係なく生きてきたのです。それぞれが自分達の移動のルートを持っており、その歴史は何千年もの間、続いてきたようです
 
 彼らは移動しながらの生活で、家畜からチーズやバターを作り、草木や石で染めた絨毯を織り、あるときは家畜を食肉として、それらを売り、また移動していきます。
 女性は移動生活を続けながら子を産み、そのひよひよした幼な子はロバに乗せ、いつかその子も自らの足で大地を踏みしめ歩くようになっていく。そしていつか歳をとり再び、馬やロバの背に揺られる。また、小さきものはたとえ家畜でも、ロバの背に乗せて移動させると聞きました。そう、山羊や羊の赤ちゃんたちのことです。
 彼らは他の民族と交わることを嫌い、独自の生活を守ってきました。隊列の前後には番犬を配置させ、他人が安易に近寄ることを拒んできたそうです。
 またクーチーの女性達は、アフガニスタンにあってもこれまで顔を隠すこともなく生きてきたそうです。何千キロも歩き続けるその屈強な体に、大きなブルーや黒の瞳をたたえ、手作りの独特な衣装を纏うその姿はそれは艶やかだ、とベーグはいいます。彼女達は、すべて手で、糸を紡ぎ、ウールを染め、絨毯(ギリム)を織り、テントを縫い、自分達の衣装も作ってきました。

 ベーグはクーチーたちから人間の圧倒的なたくましさを感じる、そういいます。パキスタン北部の、自然環境が過酷な秘境フンザで育ったベーグにとって、たくましい生活は当たり前のことで、あえて人に対して使うことなどありません。エベレストに登頂した、というようなニュースを聞いても「あ、そう」といった感じで、すごい、とはまったく思っていない様子のベーグも、クーチーに対しては何か、こう、特別な敬意を持っているようにもみえます。

 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇_d0106555_181291.jpg そんな彼らが2001年同時多発テロ事件~アフガニスタン戦争後の影響も大きく受けて、自由な移動ができなくなりました。彼らの道が紛争地帯となり、あるいは地雷が埋められて、移動することができなくなってしまったのです。子どもたちや家畜が地雷の被害者となり、片足を失うなどのケースが続きました。そしてクーチーたちは、しかたなくパキスタン領内に留まるようになりました。こうして先祖代々、移動することが生きることであった民が、移動をやめたのです。定住生活を始めた家族もありました。とはいえ他の難民のように、難民登録をし保護してもらえるチャンスすら少ない彼らでした。彼らの成り立ちからいって、難民のカテゴリーにも入れてもらえないケースが多いからです。

↑アフガニスタン、クナールで出会ったクーチーの少女

 折りに触れクーチーのことを気にしているベーグですが、彼がいうには現在、そんなクーチーたちが、他のアフガニスタンの難民の方たちと共に、パキスタン領内からアフガニスタン領内に強制的に帰されつつある、ということです。(アフガニスタン難民については、別途また、詳しく書きたいと思っていますが)、今のアフガニスタンに帰されても、家畜に食ませる草ひとつなく、移動は依然として困難で、彼らの困窮~悲劇は目に見えています。

 こうしてクーチーの存在そのものが危機にさらされている、といえましょう。彼らは移動を続け、元来、それぞれの地域の人々にも遠方からのニュースを運んでくれる使者でもありました。国境やビザなど関係なく生きてきた、平和の民なのです。彼らが伝統や習慣、内なる誇りを守りながら、独自の生活を続け生きていくことができるか、私たちは見守るしかできません。

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# by silkroad_caravan | 2007-05-24 15:30 | アフガニスタンあれこれ
 叔父たちのホテル  アッパー・フンザのホテルも親戚だらけの巻
 インターネットでフンザのことを見ていたら伯父のホテルのHPを見つけました。(あら~、伯父さん、HP作っていたんだぁ~、フンザもそういう時代なんだなぁ)。素敵なホテルなので、ご紹介させていただきます。

 アッパーフンザ ゴジャール地区グルミット村にある、シルクルート・ロッジです。http://www.silkroutelodge.com/index.html カラコルム・ハイウェー沿いにあり、大きいですし、わかりやすいです。
広々とした美しいホール&ダイニングルームには、マルコポーロ・シープやアイベックスの立派な角が頭上に飾られていて、最初はちょっとビックリ。美しいトポプダン峰を眼前に眺めながら、フンザのハーブティー、トゥモロでゆっくりするのが乙かな。
親戚だからではなく、旅行業者としても、素敵なホテルといえるのではないか、と思います。シーズン中は欧米人でにぎわっています。お料理も美味しい!

 オーナーの伯父アブザルは一見ヨーロピアンのような顔立ちをしている人です。いつも優しそうな微笑を浮かべていて、鼻についたおヒゲもよくお似合い。こういう俳優さん、ハリウッドにいなかったっけ、と思いたくなるナイス・ガイ。振るまいも紳士的。5つ星セレナホテルなどで様々な経験を積んだ後、フンザの中心地カリマバードだけでなく、アッパーフンザのツーリズムのためにも、きちんとしたサービスをご提供できるホテルを作らなければ!と、このホテルを立ち上げたそうです。

 ついでなので、他の親戚のホテルもご案内したくなってきました。
 以下、いくつかは故郷パスー村のホテルです。アッパーフンザ、パスー村入り口(カラコルム・ハイウェー沿い)に立つ一番古いホテル、パスー・イン。こちらも叔父のホテルです。こちらは美しいとは言い難い^_^;ですが、パスーでは、一番古くからツーリストやバック・パッカーの拠点となってきたところです。いつも、中庭でのんびり本を読んだり、おしゃべりをしたりする旅人でにぎわっています。近年、欧米人や日本人に混じり、韓国・中国・シンガポール・マレーシアなどからの旅人もぽつぽつ見かけるようになりました。私もパスーの自宅にいる時は、ちょくちょく出入りしています。
 叔父たちのホテル  アッパー・フンザのホテルも親戚だらけの巻_d0106555_1850484.jpg

 ↑この写真は、パスー・インの庭でのスナップです。私もプライベートタイムでして、弊社のお客さまではなく(汗)、ユーラシア大陸を横断中のバック・パッカーたちや、うちのガイドたちと共にくつろぎ、なぜかギターにあわせて謳っております。

 さて、オーナーで叔父の、ゴラム・ムハンマドについてちょっと書きましょう。彼はいかにも人の良さそうな顔立ちで、まさにフンザの好々爺に見えるけれど、実はかなり辛らつな人です。オーナーとしては、あまりにもモラルがなさそうだったり、ハシシを吸ったりしそうなバック・パッカーさんに、空き部屋があるにもかかわらず、満室だと言ってことわっている姿も私は何度か目撃しました。フンザ(特にここの子ども達に)に悪いモラルを持ち込みそうな方はパスーに滞在お断り、ってことなんですね。
 ちなみに、ゴラム叔父は、70~80年代にかけては有名なマウンテナーであり、ハイ・ポーター(登山における高所ポーター)でした。私生活では、10人近く(正確には多くてよくわからない)子どもを持つ子沢山でもあります。(60代にして末っ子はまだ幼児! 行く度に子どもが増えていて、私はギョーテン!)

 同じくパスー村のパスー・ピーク・インは、叔父アクバル・シャーのホテルです。村の真ん中からは少し離れているバック・パッカー御用達ホテルなので、弊社のお客さまをご案内することはないけれど・・・。
 アクバル叔父さんは、軍を退役した後、この宿を開きました。役者のように大げさな身振り手振りが、すごく特徴的な人で、かなりオモシロイ人です。彼があまりにも面白いので、彼の物真似をする村人が、けっこういるくらいなんですよ。
 パスー・ピーク・インはやはりカラコルム・ハイウェー沿いにあるため、私は時々、うちのジープで通り過ぎるのですが、それをアクバル叔父に見つかると怒られます。「なんで素通りしたんだ。お茶をしていけ!」ってね。
 いつか、夫ベーグが、他の大きなホテルの庭で、外国のお客様のために宴を主催したことがあったのですが、そこにアクバル叔父がやって来ました。その後、滅多に飲まないお酒も手伝って、いつの間にか、主催者はまるでアクバル叔父!という雰囲気になっていた、ということがありましたねぇ。(これは役者が一枚も二枚も上だ)と、思わずにんまりした私です。フンザでは、昔の日本と同じで、年長者を敬うのが当たり前になっていますから、異存はございませんっ。逸話の多い叔父ですね(笑)。

 そしてパスー・ツーリスト・ロッジのオーナーは叔父イカエット・シャーです。本業は銀行のマネージャーで、いつ見ても優しそうな叔父は、よく甥のベーグにいじめられています。
 ホテルはカラコルム・ハイウェー沿いにあります。こちらはシルクルート・ロッジ並みの大きな設備、グッド・ツーリストクラスです。ニューパスーというエリアにあります。

 それからパスーのシスパー・ビュー・ホテル。うちのガイドもしてくれるアジィームのお父さんのホテルです。シスパーリ(7,611m)が目の前に見える好立地にあります。やはり村の中心からは離れていますが、カラコルム・ハイウェー沿いです。このホテルはキャンプ・フィーを払ってキャンプするのも良し、というところです。お部屋はバック・パッカーさん向けといえましょう。

 あ、もうひとつ。
 グルミットに戻ります。親戚ではないのですが、大好きなホテルです。名前はマルコポーロ・イン・ホテルです。お庭にいつも花が咲き乱れ、私はここでお茶を飲むのが大好きです。最近、アネックスとして新しい建物ができて、タポプダン峰を眺める景色がちょっと悪くなってしまったのが残念!
 こちらは、英領になる以前の、フンザの本当の藩主(ミール)ファミリーが経営しています。当主はラジャ・バドルハーンさんです。グッド・ツーリストクラスのホテルですね。こちらもお料理が美味しいのですよ。

 しかし・・・書いていて思ったのですが、ホテルもさることながら、オーナーの伯父・伯父たちの個性も風貌もそれぞれ際立っていることを実感。顔写真も是非、お見せしたいところですが、ないのが残念!

 書いているうちに、また親戚だらけの話になってしまいましたね。

 全部、伯父か叔父としましたが、実際は大叔父の人もいます。親戚を呼ぶときの感覚が日本とは違うので、わかりやすく書きました。
 例えば、向こうでは、祖父母のきょうだいは私にとってすべて祖父母という考え方です。私は嫁いだ後、祖父母がたくさんできて、最初は嬉しく感じたものです。とはいうものの一番最初は、知らない幾人もの人に、「お前は私の孫だ」と言われ、すごく驚きましたが・・・・・・。カルチャーショック!
 同様で、叔父、叔母はもっとたくさんいるわけです。今日、ご紹介させていただいたオーナーたちから見ると、私はすべて「姪っ子」になり、実際彼らから「ハリヤーン(姪っ子)!」と呼ばれています。

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# by silkroad_caravan | 2007-05-23 19:33 | フンザ
 フンジュラーブ峠の思い出 + 空港から国境まで親戚だらけの巻
 弊社のHPフォトギャラリーの作業をしていて、中国・パキスタン国境フンジュラーブ峠の写真で手が止まりました。久しぶりに見るフンジュラーブ峠。ユーラシアを横断する旅人たちの憧れの地点でもある標高4,700mの平和な国境です。ハイウェー上にある国境としては、世界で一番高いところにある、といわれます。
 フンジュラーブ峠の思い出 + 空港から国境まで親戚だらけの巻_d0106555_18523383.jpg

 パキスタン北部をご旅行されるお客さまたちも、ツアーでよく行かれるところです。外国人のお客さまたちは、(こちらから見ると)パキスタン、裏から見ると中国、と書いてある石碑をバックに、記念写真を撮られます。よく、制服を着たニコリとも笑わないパキスタン国境警備隊に、一緒にスナップに入ってもらっている方々も見かけます。その後、みなさんはどんなに長くても!30分程度過ごして引き返す、あるいは国境をまたいで去っていきます。空気が薄いですから。

 この写真は8月の景色です。婚約時代に、ベーグと義妹と共に、ジープに乗ってピクニック気分で出かけて行きました。お花が咲き乱れ、遠くでヤクが草を食んでいます。ここは、フンザカラコルム世界との分岐点、国境の向こうはパミールを経て、遥かなる中国側のシルクロード
 さて、お茶やアンズ、ビスケットを食べた後、私はひとりで、写真左手にあるクンジュラーブ氷河まで歩いてみることにしました。5分か10分で氷河のたもとまで行けるように思えたのです。
 しかし、甘かった。歩いても歩いても氷河にたどり着きません。15分も歩いて、まだまだ着かないと気付き、あきらめて引き返しました。(こういうところに来ると遠近感というものがなくなってしまうんだなぁ・・・と実感)。

 どこに行っても親戚だらけ ~国際空港から国境まで~
 この写真を見て、もうひとつ思い出したことがあります。
 帰りがけ、国境警備隊の小さなオフィスに寄り、挨拶をした時のことです。実はこういったシーンで、私が注意することが、ひとつあります。現地の人と会う時、私は、初対面の相手を、親戚だと思って挨拶するようにしている、ということです。
 それは初対面の人と挨拶し終わった後に、その人が親戚だった、とわかることが経験的にあまりにも多いからなのです。このため、失礼がないように全部、親戚、と思っておくことにしています。もちろん、パキスタンは多民族国家ですから、対面する方が別の民族だった場合は違いますヨ。
 案の定、人の良い、初老の警備隊のおじさんは、遠い親戚でした。それから、よもやま話をして、うちの庭で取れたアンズを、袋ごと差し上げて帰って来ました。
 
 夫ベーグは、中央アジア系タジクのワヒ族という民族です。フンザは、ブルショワスキー人とこのタジク系ワヒ族で構成されています。
 ワヒ族はアッパーフンザの他にも、パキスタン北部のヤシーン地域、ボローギル地域に住んでいます。あとは国境をまたいで中国ウイグル、アフガニスタン、タジキスタンにも・・・(国境の概念も私たち日本人とは違うはずですよねぇ、ユーラシア大陸の思いきりど真ん中・・・)。

 で、ワヒ族も現在は、パキスタン国内各地に仕事で散らばっている住んでいます。このため、イスラマバードの国際空港から、国境の警備隊まで、驚くほど親戚だらけなのです。これには本当に!びっくりします。
 親戚の人に会うと、ベーグは後で、家系図を書き、説明しようとするのですが、正直、うんざり。9代前まで軽く記憶している彼らですが、何度聞いても私には覚えられない。”おじいさんの兄弟のお嫁さんの兄弟”というような説明なワケです。そんな私の気持ちをヨソに、「親戚作るのは私たちの趣味だからさ」、とベーグにいわれると、もう笑うしかない^_^; もちろん、彼らがなぜそのように強固な親戚網を築いてきたかという理由は、彼らと同じ環境下で、共に生活していれば見えてくるし、殊に厳しい自然環境で生きていく上での知恵、というものが感じられます・・・というわけで、10年たっても親戚を覚えきることは絶望的な私。
 もっともこの親戚人脈で、どこに行っても何をしても、頼れる人がいるわけで、心強いし、もちろん当然のことですが、これが我われの仕事上、どれだけ役に立つことか~~~。あらゆる職業の親戚が、あちこちで働いているわけですから。コネクションでいかようにも対応が変わるパキスタンなのでした。

 親戚だらけの別の側面としては、フンザの田舎で犯罪などが起きない、というようなこともいえます。フンザは治安が良く、警察など要らない、とよくいわれますが、そもそも全部、見られているし、悪いことなどできやしないのですね。
 私もどこに行っても、何をしても知られてしまうので、ちょっと疲れることがあります。散歩に行き帰宅すると、どこに行っていたか、すっかりバレている、というような調子かな。夫婦ゲンカして気晴らしに外に出ても、夫は私がどこに出かけたか、知っていたりするわけです。私自身だって、アテもなくフラッっと出かけているのに(ーー;) 彼ら、視力がとても良いことも手伝って、どこにいても見られてしまう。ブッシュマンなみの視力を持つワヒ族でもありました。

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# by silkroad_caravan | 2007-05-19 20:30 | フンザ
 ラホール取材物語その2 
 ベーグが取材コーディネートで従事した NHK BS-1 ドキュメンタリー『アジア大回廊 ~中国からパキスタンへ2万キロを行く』第5話~国境の道・友好の道~については、先日も触れましたが、今日もラホールの話をちょっと書いてみます。

 ムガールの都ラホールの、いにしえの城壁に囲まれた旧市街の中に、バードシャヒー・モスクラホール・フォートが向かい合うように建っています。

テクサリー門からその旧市街に入ると、バードシャヒー・モスクのすぐ裏手にあたる通りに、ヒラマンディという歓楽街があります。昼間は人影も見えぬほどの静かなこの通り、夜は世界が一変し、音楽と光が溢れるのです。そこにはタブラやグングルー、パエル(楽器)が鳴り響き、踊りを見せてくれる店が軒を連ねています。このエリアにはムガールの時代から公の売春通りもありました。

 Cooco's Denレストランはそんあ一角にあります。建物自体が歴史を感じさせる古いもので、ひとり通るのがやっとの狭い大理石の階段を上がっていくと、3階と、その上の屋上がレストランになっています。パキスタンのお金持ちたちや、世界中のVIPもお忍びでやってくるというこのレストラン、もちろん全予約制です。ムードある店内からは、眼下に世界遺産の夜景、バードシャヒー・モスクのミナレット(尖塔)やラホール・フォートが広がります。
 ラホール取材物語その2 _d0106555_1375199.jpg

 バードシャヒー・モスクのミナレットが、レストランの窓のフレームを通して、目の前に屹立する風景を写真に撮ってきたよ、とベーグから最初に見せられた時、私はつかの間、うっとりとしてしまいました。

 オーナーでアーティストのイクバル・フセインさんは、このCooco's Denの土地に、生れ育ちました。若い時はワルでならしたというフセインさん、18歳の時に人生の師と出会ったそうです。「あの時、彼に出会わなかったら、今の私はなかったでしょう」と、語るフセインさん。父を知らぬ彼は、「師は父でもあった・・・」と語っています。そこから芸術の道も花開き、現在は大学の教鞭もとっていらっしゃいます。
 
 建物の一階はレセプションですが、彼の絵のギャラリーにもなっていて、絵の売り上げ金はヒラマンディの孤児の救済や教育のスカラーシップに使っていると聞きました。

 以前は、通りを歩くのもはばかれたこの通りに、今は国内外のVIPたちが訪れ、このレストランの食事とそこから見える風景を楽しまれるようになったのです。イクバルさんの「私は今、幸せです」という言葉に、彼のこれまでの苦労に満ちた道のりが感じられます。

 私は、ベーグから聞いた、イクバルさんの人生~ヒラマンディの歴史に聞き入ってしまいました。そのドラマはあまりにも深く、聞きかじりを書くのも失礼なお話で・・・そもそも筆の力及ばずではありましたが、ほんの少しだけ・・・レストランからの風景と共にお届けいたします。
 未来に、弊社のお客様となられる方がいらっしゃいましたら、ヒラマンディのストーリーの続きをお聞かせできるかも知れないですね。
                                          ただいま撮影中! ラホール取材物語その2 _d0106555_3125766.jpg







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# by silkroad_caravan | 2007-05-17 03:09 | パキスタンあれこれ



フンザへ嫁ぎ、パキスタン政府公認現地旅行会社&取材業に励む日本人女子が綴る仕事最前線やスローライフ。アフガニスタン取材も得意。Silkrad Caravan Tour, TV Media coverage
by silkroad_caravan
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旅行業
: フンザの旅/
パキスタン北部トレッキング
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代表アミン・ウラー・ベーグ
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