地雷除去の番組を見て
 偶然、二日続けて、日本で地雷除去機製作に尽力されている方々のテレビ番組を見ました。ひとつは日立さんの話でした。もうひとつは、もっと小さな会社で製作の陣頭指揮をとられる社長さんが、自ら現地で除去機を試され、地雷爆発でご自分の片方の耳の鼓膜が破れてしまった後も尚、奮闘されるお姿でした。

 夫ベーグは、テレビ取材の報道コーディネートで、パキスタン隣国、アフガニスタンへはよく行きます。戦争報道の時もあります。そういった事情から彼はかたわらで、「この機械、素晴らしいんだ!」とか、「山がちで傾斜地の多いアフガニスタンだから、この機械を使用できない土地も多いんだ」「水もないような乾いた大地で、人力で、延々と緊張を強いられる地雷除去の作業をすることがどれだけストレスになるか」などいろいろ、いつものことですが、横で解説しまくります。

   ↓この写真は、小型センサーでの地雷除去作業準備中 カーブルにて ベーグ撮影
 
 地雷除去の番組を見て_d0106555_1103982.jpg

 そしてふいに、こんなことを言い出しました。
 アフガニスタン取材に行った時、米軍のハンビー(高機動多目的装輸車両)を取材しようとテレビカメラを向けたとき、米兵から(取材しちゃ)ダメダメ、と身振りで示され、あきらめたそうです。その直後、米兵がそのハンビーから降り、その場で対戦車地雷が爆発した、と。「それって・・・・・・」「3人、米兵が亡くなったよ。吹っ飛んだ」。「・・・遺体は・・・?」「バラバラだよね。あのデカいハンビーも浮いたよ。戦車地雷が数個あったんだろう。黒煙が巻き上がったよ」。

 いつも事後報告でそんな話を、ふいに聞かされます。こうやってテレビを見ている時だったり、打ち合わせでディレクターさんと話をしている時だったり・・・。彼は、あきらかに取材後、私に言わないようにしているわけです、ギャーギャー文句言われますから。その取材は3年ぐらい前で、我が家の娘がまだ0歳だったと思います。子どもが生れてからは、あまり危ない取材には行かない、ということで夫婦で話はしていますが、実際にどれくらい危険な現場のフロントラインまで行っているかは私にはわからない。
 ディレクターのTさんも、危険を承知で行っているとはいえ、さぞ衝撃を受けられたでしょう。テレビ局の社員さんは、社命により、ここまで危ないような現場には行ってはいけないことになっているケースがほとんどですから、ご一緒しているのはフリーランスの方や、一部の、前線まで取材されるのは、ほんの何社かの方たちだと思います。

 さて、その時の話に戻ります。撮影クルーは道にいました。撮影ダメと言われ、あきらめて、ベーグはおしっこでもしようとしていたところだったそうです。道の端に赤い線が引かれており、その外側は地雷原。いつも取材時は、おしっこする場所にとても困るそうです。そしてその時、その戦車地雷が炸裂し、おしっこは衝撃ですっかり体内のどこかにいってしまった、と言いました。
 道にいた、と書きましたが、道を逸れたら命の保証はないのです。道にいるしかないのです。赤い線の外に一歩、踏み出す時、そう、土の上に残った人の足跡にぴったり合わせて歩を進めるしかありません。おしっこするのも命がけということです。

 世界中に地雷は1億個以上、埋められています。被害者の9割が非戦闘員、つまり無辜の民です。そのうち1/4が子どもだそうです。わざとオモチャに似せて作ってある地雷などが、まかれていますし、水を汲みにいったり、薪を拾いにいったりする子どもが犠牲になるのは想像に難くありません。

 私は、自分の娘が生れてから、こういうとき、こんな映像が浮かぶようになってしまったのです。アフガニスタンで、幼いうちの娘が水を汲みに行く。あるいは干ばつで干からびた元畑で、いとこやきょうだいと戯れる。そしてオモチャと見紛う地雷を拾ってしまう、そういった想像です。
 娘は父ベーグそっくりで、アフガニスタン人といえば通じる顔立ちですから、映像でよくみる向こうの幼子と、我が子がダブってしまうのです。被害にあって足を失った少女が、不自由な身体で食事を作っている姿などを見ても、うちの娘が将来、父親の田舎で同じように炊事しているだろう姿とダブるのです。こうして、犠牲になった子の、親や家族の悲嘆が、涙の一滴くらいわずかにしか過ぎないのですが、皮膚感覚で伝わってくるようで萎えてしまう。

 実は私自身、メディアで仕事をしていた時、人から頼まれて、地雷に関する本を日本で出版したカンボジア人の女性を撮影したことがありました。その若い女性は、カンボジアの地雷原で育ち大人になった人でした。小柄なカンボジアの娘さんが手の平に乗せて見せてくれた、安価で作れて、人を殺さず生かして生活を奪う、その地雷のあまりの小ささにショックを受けたように記憶しています。

 パキスタン人のベーグと結婚し、メディアにいたとき以上に、世界の見方がずいぶん変わった私です。2児の母になり、その考えもまたわずかですが多層的になりました。とは言え、できたことって、ほとんどないのが悔しいです。

▼パキスタン現地旅行会社・取材コーディネーションシルクロード・キャラバンHPはこちら
# by silkroad_caravan | 2007-06-08 11:02 | アフガニスタンあれこれ
 スカルド ~山岳地帯にある砂漠~
 最近は、ドキュメンタリー企画(報道やカルチャーもの)のたたき台を書いたり、お客様のK2・バルトロ氷河トレッキングスケジュールを作ったり、パキスタン世界遺産旅行や、フンザの旅行プランなどの作業にも取り組む毎日です。

 さて、K2といえばパキスタンをよくご存知ない方でも聞いたこと、おありでしょう。K2とは言わずと知れた世界第2位の山、カラコルムⅡ 8,611m、パキスタン北部にあります。
 そのK2・バルトロ氷河トレッキングは20数日間の日程で、8千m峰を4座他、6千、7千m峰がひしめきあうように連なり、コンコルディアという場所からはそれら名峰が360度の大パノラマ!で眺められる、登山者にとっては垂涎の、究極のトレッキング・コースなのです。今年もそろそろシーズンが始まり、欧州を中心に、世界中から登山家やトレッカー、観光客のみなさんが訪れ始めました。
 夫ベーグも数え切れないくらい、国の山岳ガイドとして訪れている場所ですが、最近は行っていなかったものですから、久しぶりに自身でガイドできるかスケジュールを調整してみたいなぁ、とつぶやいています。この壮大なスケールのトレッキング話をするとキリなくなってしまいそうなので、さて、今日の本題。
 そのパキスタン北部トレッキングのベースになっているスカルドの、意外な風景写真を一枚、ご紹介したかったのです。
 スカルド ~山岳地帯にある砂漠~_d0106555_2356822.jpg

 この写真は、スカルドのガンバという場所です。国内線の空港があるところで、砂漠のまわりは世界の屋根群~そしてその砂漠の真ん中に空港があります。超現実のような風景・・・・・・。でも現実の風景なのです。

 旅人はこの風景を堪能されるでしょうが、スカルドの人たちにとってはどうでしょうか。その砂は建築物を作るときの材料になるため、人々の暮らしに役立つ一方で、秋から冬にかけては強い風が吹き、砂漠から巻き上がったその砂塵、スカルドの町中を視界もきかないほどにしてしまいます。それは家々にも容赦なく入り込み、農閑期とはいえ彼らの畑にも降り注ぎ、翌春の農作業を大変なものにするということです。

  ▼▲パキスタン現地旅行会社シルクロード・キャラバンのHPはこちらから▲▼
# by silkroad_caravan | 2007-06-05 01:27 | パキスタン北部あれこれ
 マンゴー到来 in パキスタン
 今は夫婦共に日本にいる我が家です。昨日、夫ベーグが、弊社イスラマバード事務所スタッフとの電話切った途端、いいました。「<マンゴーが食いたいなぁ」。
 
 ご存知ない方が多いでしょうが、パキスタンはマンゴー大国、マンゴー天国なのです。こ、これは、もう本当に!美味い。そのマンゴーの季節が到来しました。

    ↓近所のバザールで 種類はいろいろあって8月頃まで楽しむことができます
   マンゴー到来 in パキスタン_d0106555_8202652.jpg

 スタッフは忙しくて夕食に出かけるのも面倒くさくなってしまったとかで、買ってきた15キロものマンゴーを、オフィスの応接セットで食べながら夜を過ごしているらしいのです。じっとりと暑い空気にただようマンゴーの濃厚な香り、汗をかきながら食べる、ねっとり実に甘いマンゴーが思い出されます。(手をベタベタにして食べているんだろうなぁ)。日本で食べるように1個食べて終わりじゃないのですよ。15キロも買えばねぇ・・・いいなぁ。
 ベーグは「マンゴーがなくなっちゃったら、パキスタン人、死んじゃうだろうなぁ」と叫んでいます。(そんなオーバーな、とは思いますが、まぁ、心情はでていますね)。

 このマンゴー、一級品の多くが、中東や欧州へ輸出されます。ごれもご存知ないでしょうがパキスタンはオレンジでは世界第2位の輸出国です。そのオレンジに続き、輸出されているのがこのマンゴーです。

 絶品! マンゴージュース
 このマンゴーのジュースがまた絶品! 日本のジュースのように品の良い感じはなく、ドーンと大きなグラスで、今、搾ったばかりのマンゴージュースが、ストローで吸うのも大変なくらいの濃さで出てきます。驚きの美味しさです。これだけ美味しいと、ベーグが「日本のジュースは全然おいしくない」というのも全く否定できません。
 日本の方々もひとたび、この味を覚えられると、それはもうユーラシア横断のバックパッカーから、政治家の奥さままで、このマンゴーに夢中になられるのを私は見てきてました。「中国で、パキスタンに行ったら美味しいマンゴーが食べられるというウワサを聞いていました」と、シルクロードを横断して来た若者が話してくれたこともありました。

 私自身、マンゴーのささやかな思い出があります。それは結婚前、ベーグの運転するジープをパキスタン北部の故郷へと長距離ドライブしていたときのこと。ジープが大きく揺れるたびに、ジープ後部から、何か・・・かぐわしい香りが漂ってくるのです。「この香りは?」と聞くと、それはカートンで買って乗せてあったマンゴーの香りでした。「後で食べようね」と、彼がいったこともなぜか覚えています。(あの頃は今よりも優しかったな)、もうずいぶん昔のことです。実際、食べたかどうかは記憶の彼方にいってしまったのに、かぐわしい香りだけが印象に残っています。

 走っても走っても続くマンゴー畑
 マンゴーの産地はパキスタン南部、パンジャーブ州やシンド州です。
 
 産地では、幹線道路をはずれるとマンゴー畑があらわれ、走っても走ってもそれがずーっと続き、その中をドライブしたことがあるよ、と夫。ソ
 フィア・ローレン主演の映画『ひわまり』のひまわりならぬ、パキスタンのマンゴー畑が延々と続くその風景が目の前に浮かぶようで・・・それを想像して楽しんでしまいます。
 
 マンゴーの木は大きいですから、みどり色の中に落としたような小さな黄色がどこまでも続く風景。わざわざ行ける場所ではないのですけれど、いつか行ってみたいですね。

  ▼▲パキスタン現地旅行会社シルクロード・キャラバンのHPはこちらから▲▼
# by silkroad_caravan | 2007-06-03 08:37 | パキスタンあれこれ
 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇
 アフガニスタンクーチーと呼ばれる遊牧民たちがいます。クーチーは、”生活もろとも出発する、発つ”という言葉の意味です。夫ベーグはアフガニスタンを取材中に何度も彼らのキャラバンを目にし、知り合いも何人かいるようです。
 彼らは大所帯、大家族をひとつの単位として、何十頭ものラクダや、何百頭もの山羊・羊・ロバ・馬・犬たち、そして手作りのテント、家財道具もろとも、アフガニスタンを拠点に、ウズベキスタンやタジキスタンへ、あるいはパキスタン、インド、イランと、国境をまたいで移動しながら生活して来ました。北から南まで、気候にあわせて、草を求めて、国境など関係なく生きてきたのです。それぞれが自分達の移動のルートを持っており、その歴史は何千年もの間、続いてきたようです
 
 彼らは移動しながらの生活で、家畜からチーズやバターを作り、草木や石で染めた絨毯を織り、あるときは家畜を食肉として、それらを売り、また移動していきます。
 女性は移動生活を続けながら子を産み、そのひよひよした幼な子はロバに乗せ、いつかその子も自らの足で大地を踏みしめ歩くようになっていく。そしていつか歳をとり再び、馬やロバの背に揺られる。また、小さきものはたとえ家畜でも、ロバの背に乗せて移動させると聞きました。そう、山羊や羊の赤ちゃんたちのことです。
 彼らは他の民族と交わることを嫌い、独自の生活を守ってきました。隊列の前後には番犬を配置させ、他人が安易に近寄ることを拒んできたそうです。
 またクーチーの女性達は、アフガニスタンにあってもこれまで顔を隠すこともなく生きてきたそうです。何千キロも歩き続けるその屈強な体に、大きなブルーや黒の瞳をたたえ、手作りの独特な衣装を纏うその姿はそれは艶やかだ、とベーグはいいます。彼女達は、すべて手で、糸を紡ぎ、ウールを染め、絨毯(ギリム)を織り、テントを縫い、自分達の衣装も作ってきました。

 ベーグはクーチーたちから人間の圧倒的なたくましさを感じる、そういいます。パキスタン北部の、自然環境が過酷な秘境フンザで育ったベーグにとって、たくましい生活は当たり前のことで、あえて人に対して使うことなどありません。エベレストに登頂した、というようなニュースを聞いても「あ、そう」といった感じで、すごい、とはまったく思っていない様子のベーグも、クーチーに対しては何か、こう、特別な敬意を持っているようにもみえます。

 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇_d0106555_181291.jpg そんな彼らが2001年同時多発テロ事件~アフガニスタン戦争後の影響も大きく受けて、自由な移動ができなくなりました。彼らの道が紛争地帯となり、あるいは地雷が埋められて、移動することができなくなってしまったのです。子どもたちや家畜が地雷の被害者となり、片足を失うなどのケースが続きました。そしてクーチーたちは、しかたなくパキスタン領内に留まるようになりました。こうして先祖代々、移動することが生きることであった民が、移動をやめたのです。定住生活を始めた家族もありました。とはいえ他の難民のように、難民登録をし保護してもらえるチャンスすら少ない彼らでした。彼らの成り立ちからいって、難民のカテゴリーにも入れてもらえないケースが多いからです。

↑アフガニスタン、クナールで出会ったクーチーの少女

 折りに触れクーチーのことを気にしているベーグですが、彼がいうには現在、そんなクーチーたちが、他のアフガニスタンの難民の方たちと共に、パキスタン領内からアフガニスタン領内に強制的に帰されつつある、ということです。(アフガニスタン難民については、別途また、詳しく書きたいと思っていますが)、今のアフガニスタンに帰されても、家畜に食ませる草ひとつなく、移動は依然として困難で、彼らの困窮~悲劇は目に見えています。

 こうしてクーチーの存在そのものが危機にさらされている、といえましょう。彼らは移動を続け、元来、それぞれの地域の人々にも遠方からのニュースを運んでくれる使者でもありました。国境やビザなど関係なく生きてきた、平和の民なのです。彼らが伝統や習慣、内なる誇りを守りながら、独自の生活を続け生きていくことができるか、私たちは見守るしかできません。

  ▼▲パキスタン現地旅行会社シルクロード・キャラバンのHPはこちらから▲▼
# by silkroad_caravan | 2007-05-24 15:30 | アフガニスタンあれこれ
 叔父たちのホテル  アッパー・フンザのホテルも親戚だらけの巻
 インターネットでフンザのことを見ていたら伯父のホテルのHPを見つけました。(あら~、伯父さん、HP作っていたんだぁ~、フンザもそういう時代なんだなぁ)。素敵なホテルなので、ご紹介させていただきます。

 アッパーフンザ ゴジャール地区グルミット村にある、シルクルート・ロッジです。http://www.silkroutelodge.com/index.html カラコルム・ハイウェー沿いにあり、大きいですし、わかりやすいです。
広々とした美しいホール&ダイニングルームには、マルコポーロ・シープやアイベックスの立派な角が頭上に飾られていて、最初はちょっとビックリ。美しいトポプダン峰を眼前に眺めながら、フンザのハーブティー、トゥモロでゆっくりするのが乙かな。
親戚だからではなく、旅行業者としても、素敵なホテルといえるのではないか、と思います。シーズン中は欧米人でにぎわっています。お料理も美味しい!

 オーナーの伯父アブザルは一見ヨーロピアンのような顔立ちをしている人です。いつも優しそうな微笑を浮かべていて、鼻についたおヒゲもよくお似合い。こういう俳優さん、ハリウッドにいなかったっけ、と思いたくなるナイス・ガイ。振るまいも紳士的。5つ星セレナホテルなどで様々な経験を積んだ後、フンザの中心地カリマバードだけでなく、アッパーフンザのツーリズムのためにも、きちんとしたサービスをご提供できるホテルを作らなければ!と、このホテルを立ち上げたそうです。

 ついでなので、他の親戚のホテルもご案内したくなってきました。
 以下、いくつかは故郷パスー村のホテルです。アッパーフンザ、パスー村入り口(カラコルム・ハイウェー沿い)に立つ一番古いホテル、パスー・イン。こちらも叔父のホテルです。こちらは美しいとは言い難い^_^;ですが、パスーでは、一番古くからツーリストやバック・パッカーの拠点となってきたところです。いつも、中庭でのんびり本を読んだり、おしゃべりをしたりする旅人でにぎわっています。近年、欧米人や日本人に混じり、韓国・中国・シンガポール・マレーシアなどからの旅人もぽつぽつ見かけるようになりました。私もパスーの自宅にいる時は、ちょくちょく出入りしています。
 叔父たちのホテル  アッパー・フンザのホテルも親戚だらけの巻_d0106555_1850484.jpg

 ↑この写真は、パスー・インの庭でのスナップです。私もプライベートタイムでして、弊社のお客さまではなく(汗)、ユーラシア大陸を横断中のバック・パッカーたちや、うちのガイドたちと共にくつろぎ、なぜかギターにあわせて謳っております。

 さて、オーナーで叔父の、ゴラム・ムハンマドについてちょっと書きましょう。彼はいかにも人の良さそうな顔立ちで、まさにフンザの好々爺に見えるけれど、実はかなり辛らつな人です。オーナーとしては、あまりにもモラルがなさそうだったり、ハシシを吸ったりしそうなバック・パッカーさんに、空き部屋があるにもかかわらず、満室だと言ってことわっている姿も私は何度か目撃しました。フンザ(特にここの子ども達に)に悪いモラルを持ち込みそうな方はパスーに滞在お断り、ってことなんですね。
 ちなみに、ゴラム叔父は、70~80年代にかけては有名なマウンテナーであり、ハイ・ポーター(登山における高所ポーター)でした。私生活では、10人近く(正確には多くてよくわからない)子どもを持つ子沢山でもあります。(60代にして末っ子はまだ幼児! 行く度に子どもが増えていて、私はギョーテン!)

 同じくパスー村のパスー・ピーク・インは、叔父アクバル・シャーのホテルです。村の真ん中からは少し離れているバック・パッカー御用達ホテルなので、弊社のお客さまをご案内することはないけれど・・・。
 アクバル叔父さんは、軍を退役した後、この宿を開きました。役者のように大げさな身振り手振りが、すごく特徴的な人で、かなりオモシロイ人です。彼があまりにも面白いので、彼の物真似をする村人が、けっこういるくらいなんですよ。
 パスー・ピーク・インはやはりカラコルム・ハイウェー沿いにあるため、私は時々、うちのジープで通り過ぎるのですが、それをアクバル叔父に見つかると怒られます。「なんで素通りしたんだ。お茶をしていけ!」ってね。
 いつか、夫ベーグが、他の大きなホテルの庭で、外国のお客様のために宴を主催したことがあったのですが、そこにアクバル叔父がやって来ました。その後、滅多に飲まないお酒も手伝って、いつの間にか、主催者はまるでアクバル叔父!という雰囲気になっていた、ということがありましたねぇ。(これは役者が一枚も二枚も上だ)と、思わずにんまりした私です。フンザでは、昔の日本と同じで、年長者を敬うのが当たり前になっていますから、異存はございませんっ。逸話の多い叔父ですね(笑)。

 そしてパスー・ツーリスト・ロッジのオーナーは叔父イカエット・シャーです。本業は銀行のマネージャーで、いつ見ても優しそうな叔父は、よく甥のベーグにいじめられています。
 ホテルはカラコルム・ハイウェー沿いにあります。こちらはシルクルート・ロッジ並みの大きな設備、グッド・ツーリストクラスです。ニューパスーというエリアにあります。

 それからパスーのシスパー・ビュー・ホテル。うちのガイドもしてくれるアジィームのお父さんのホテルです。シスパーリ(7,611m)が目の前に見える好立地にあります。やはり村の中心からは離れていますが、カラコルム・ハイウェー沿いです。このホテルはキャンプ・フィーを払ってキャンプするのも良し、というところです。お部屋はバック・パッカーさん向けといえましょう。

 あ、もうひとつ。
 グルミットに戻ります。親戚ではないのですが、大好きなホテルです。名前はマルコポーロ・イン・ホテルです。お庭にいつも花が咲き乱れ、私はここでお茶を飲むのが大好きです。最近、アネックスとして新しい建物ができて、タポプダン峰を眺める景色がちょっと悪くなってしまったのが残念!
 こちらは、英領になる以前の、フンザの本当の藩主(ミール)ファミリーが経営しています。当主はラジャ・バドルハーンさんです。グッド・ツーリストクラスのホテルですね。こちらもお料理が美味しいのですよ。

 しかし・・・書いていて思ったのですが、ホテルもさることながら、オーナーの伯父・伯父たちの個性も風貌もそれぞれ際立っていることを実感。顔写真も是非、お見せしたいところですが、ないのが残念!

 書いているうちに、また親戚だらけの話になってしまいましたね。

 全部、伯父か叔父としましたが、実際は大叔父の人もいます。親戚を呼ぶときの感覚が日本とは違うので、わかりやすく書きました。
 例えば、向こうでは、祖父母のきょうだいは私にとってすべて祖父母という考え方です。私は嫁いだ後、祖父母がたくさんできて、最初は嬉しく感じたものです。とはいうものの一番最初は、知らない幾人もの人に、「お前は私の孫だ」と言われ、すごく驚きましたが・・・・・・。カルチャーショック!
 同様で、叔父、叔母はもっとたくさんいるわけです。今日、ご紹介させていただいたオーナーたちから見ると、私はすべて「姪っ子」になり、実際彼らから「ハリヤーン(姪っ子)!」と呼ばれています。

  ▼▲パキスタン現地旅行会社シルクロード・キャラバンのHPはこちらから▲▼
# by silkroad_caravan | 2007-05-23 19:33 | フンザ



フンザへ嫁ぎ、パキスタン政府公認現地旅行会社&取材業に励む日本人女子が綴る仕事最前線やスローライフ。アフガニスタン取材も得意。Silkrad Caravan Tour, TV Media coverage
by silkroad_caravan
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
弊社は 

シルクロードキャラバン社

現地旅行会社&
取材・コーディネーション
パキスタン政府ライセンスNo.889
PAKISTAN, AFGHAN
テレビ雑誌取材/リサーチ/
通訳/版権交渉/
NGOロジスティクスサポート

旅行業
: フンザの旅/
パキスタン北部トレッキング
/仏教の道/ガンダーラ/
シルクロード/世界遺産/時々イランや中央アジアも
代表アミン・ウラー・ベーグ
Tel: 046-875-1686
タグ
カテゴリ
全体
フンザ
パキスタン北部あれこれ
パキスタンあれこれ
アフガニスタンあれこれ
イランあれこれ
中央アジア
以前の記事
2023年 03月
2022年 08月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 05月
2019年 03月
2018年 09月
2018年 05月
2018年 03月
2018年 01月
2017年 11月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 01月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 01月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 10月
2013年 08月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 02月
ライフログ
オクサスとインダス
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧