カテゴリ:アフガニスタンあれこれ( 35 )
アフガニスタンのカワ茶
寒いですね。今、アフガニスタンカワ茶を飲んでいます。

夫ベーグが数日前に日本に戻りました。
このため私は、日本のビジネスマンがいうところの、”海外出張清算”の作業、山のような領収書をエクセルデータで整理し、やっとクライアントさんに郵送が済み、ひと息。 (ほとんどがウルドゥー語ではなく英語の領収書ですが、読み取れない字もあってねぇ・・・読めるように書いてくれ~(´Д`;))

ベーグはといえば、日本の家にタッチしてすぐ、地方都市巡業の旅へ。今年、ご案内する旅行会社さんのトレッキング説明会に同行して、パキスタンのご案内を各地で。広島や福岡など、初めて訪問する土地も多く、新しい出会いも楽しんでいる様子。昨日は、旅行会社の営業所の方に、広島の原爆記念館にも連れて行っていただいたのだとか (*ちなみにパキスタン、アフガニスタンの市井の人々は、広島の原爆の歴史を皆、よく知っているのですよ)。 良い経験をさせていただいています。伝票は全て私に残してねぇ~(´A`)。

       これがアフガンのカワ茶  ビニール袋に入って日本にやってきた
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もとい、お茶の話。
ベーグが戻ると我が家の飲み物シーンは、普通、朝にチャイ、食後にチャイ、とミルクで煮出したチャイ尽くしに戻ります。季節や体調にあわせてスパイスや濃さを変えて入れるチャイです。
ところが、ここのところ彼がよくカワ茶も持参して来るようになり、飲み物シーンの彩りがふえました。朝、土瓶で沢山つくり一日中、飲んでいます。
ベーグは仕事で行くアフガニスタンで、「よくカワを飲んでいるからね」といいます。
手摘みして、手で干して・・・と手作りのこのお茶、味がとても良いのです。日本人にホッとする味でもあります。ベーグもよく飲むこと! 
        これはペシャワールのお茶屋さん 後列右ふたつがカワ茶 
          他は、チャイの茶葉と、緑茶と、ドライレモンの茶葉
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最初に飲んだのは、イスラマバードのアフガニスタン・レストランだったかな。巨大な串に、肉の塊が刺して焼いてあるカバブなどを山のように食べた後、カワ茶がお茶うけと一緒に運ばれてきました。最初、小さなグラスで出されたきれいな色のお茶を、ちょっと珍しいという気持ちで見たことを思い出します・・・以前、訪れたトルコのお茶と記憶が重なり・・・。グラスでの出し方そのものがパキスタンのチャイとは異なっているのですよね。とはいえ、なにげなく口に運んだだけの話でしたが、思わず(えっ、美味しい!)と。ささやかな喜びが広がりました。口の中がさっぱり、さわやかな感じ。
      後引くうまさ アフガンのお茶受け シュガー・ナッツ(現地語でシャコール)
                撮っている間も、また、食べてしまった
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このお茶うけに一緒に出されるシュガー・ナッツがまた、とまらない美味しさで(^・^)。名前の通り、ナッツのまわりを砂糖でコーティングしてあります。このシュガー・ナッツを日本の友人たちにお土産に渡すと、「これ何???」と、必ず興味しんしんの顔で聞かれるのが楽しい。

インドやパキスタン、ネパールなどがミルクで煮出したチャイで、お隣りさんのイラン、そしてトルコは紅茶系。ベーグの故郷、北部フンザは高山で採れたハーブ(タイムに似ている)のティー、これまたお隣さんの中国はご存知の通りのお茶で・・・と、大陸のチャイ・ロードを頭に浮かべるだけで楽しい。つかの間、空想で、大陸のお茶をめぐる旅人になる・・・日溜まりの居間にて。

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by silkroad_caravan | 2008-01-25 12:59 | アフガニスタンあれこれ
  アフガニスタン 韓国人拉致事件2
  思い返すと2001年に同時多発テロ事件があった後、戦争の舞台はすぐにアフガニスタンに移りました。当時、現場のオンシーンを報道現場から伝えてくる夫ベーグの言うことと、アメリカ発あるいは日本のニュースが伝えることには大きなギャップを感じ続けたおカミです。一体何が真実なのか、多くの日本人が受け取るものは、真実とはずいぶん遠いところにある、と思ったものです。それにしてもその時、おカミは「タリバン イコール 悪 ではない」とよくまわりの人々に話しました。タリバンのやり方をすべて肯定するつもりはもちろんありませんが、アメリカが善でタリバンが悪、というようなそんな単純な図式ではありませんし、西洋社会から見たとき、悪い点が多々あったとしても、我われとは違う社会の話です、他人の社会を外からどうこう言えない部分だってあると思ったものです。(※タリバンのことを書いています。アルカイダではありません、念のため)。しかし、今のタリバンのひどさは・・・・・・。タリバンよ、ここまで変わってしまったのか。

 ニュースを見ていて、みなさんもお気づきかも知れませんが、タリバンの命令指揮系統はいまや一本ではないのです。一体コマンダーは何百人いるんだろう、と夫ベーグもよく言ってるのですが。拉致された人々も分散させられているというし、それぞれのコマンダーが自分の思惑で要求しているのだろうから、韓国政府も翻弄されているでしょうし、交渉も難航している様子。これまでも駐留軍撤退などの要求項目があっても、実際は、お金で解決しているケースも多い、と聞きます。それぞれのコマンダーが最後は金で解決してもよい、と考えるケースも多いのでしょう。

 さて、アフガニスタン政府も、この事件に軍事力を使うことをいとわない、といい始めました。そうなるとタリバンのとる手段は・・・ますます拉致されている方々の命の保証はうすくなってしまいます。この何日間か非常に緊張度の高い状態が続くでしょう。

 過酷な状況に心身ともに参っているであろう韓国の人質22人を、アフガニスタンの過酷な気候風土がさらに追い詰めていることでしょう。食事も、タリバンが彼らにきちんと出していたとしても、日本や韓国の人々との食事とはあまりにも違う食生活です。ベーグでさえ、アフガンから帰ると、食事がしんどかった、といつも言います。美味しいとかマズいとかいうことではないのです、食の風土自体があまりにも違う。韓国の人が健康を維持してくのには相当辛い食事です。殺された牧師さんも持病があったと報道されていますが、ましてや持病があれば・・・。

 人質が所属するキリスト教会は数年前からアフガニスタンに訪問団を派遣し、医療・教育現場での奉仕活動を続けてきたと聞きますが、昨今のアフガニスタンは、一部の地域を除けば非常に危なくなって来ていたことをどう把握して対策をとって行っていたんだろう、と思わずにはいられません。日々、情報収集しているベーグも、私にあまり言わないようにしているらしいけれど、それでも、現地がどんどん危なくなって来ていることは言葉の端々に感じられます。ペシャワール会の中村哲先生くらい肝がすわっていらっしゃり、現地の情報収集ができる方を別にすれば、他はほとんどの方が行かれるような状態ではないでしょう。もちろんアフガニスタンといっても、地域地域によっての情報収集が必要だと思います。

  夫ベーグは、日本の某民放さんと、このアフガニスタンでの韓国人拉致事の取材がスタート。本当は、今日からパキスタン北部で8,000m峰ナンガ・パルパッドを南壁・北壁両面から堪能するトレッキングのガイドをしていたはずだったんですが・・・アフガン要員へ。昨日今日はまだ、テレビ取材とトレッキングの仕事を半々でこなしながらイスラマバード→ラホール→イスラマバード→アボダバード→イスラマバード→取材 と寝ずに移動。頭の中がこんがらがらないのだろうか。

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by silkroad_caravan | 2007-07-28 19:48 | アフガニスタンあれこれ
 アフガニスタン 韓国人23人拉致事件
 朝です。(やっぱり・・・・・)、思わず深いため息。韓国人一行を引率していた牧師さんが殺害されていました。

 タリバンが韓国人23人を拉致した事件について、昨夜25日20時~に、AFP通信社のインターネット・ニュースで、”韓国人の人質ひとりが殺害されていた、とアフガニスタン政府が確認”と、載った内容が出ました。それ以降、明け方まで、その続報をインターネットで追いかけていたのです。
 某民放の記者さんから、”AFPのニュースは時々、とんでいること(誤報)もあるから、様子を見ましょう”と夜中にご連絡をいただき、ブログのアップも朝を待ったら、朝一番で、やはり民放さんで別の報道部の方からお電話をいただき、リーダーである牧師さんが殺されたのは確かだ、と確認したのです。
 ちなみにこれまで、パキスタンのニュースで、この事件はさほど時間が使われていなく、アフガニスタンのザヒル・シャー元国王が23日に亡くなったことなどの方の扱いが大きかったようでした。昨日今日でも、ベーグに言わせると似たような扱いで、トップニュースになっていないというのです。

 昨夜日本では、”8人が解放されそうだ”、という情報から数時間の後、インターネット・ニュースで、”韓国人人質ひとりが殺害されていたと、アフガニスタン政府が確認”と、一部、出始めたのです。
 テレビニュースでも23時~になり、8人解放と、ひとりが殺害されたかも知れない、と同時に伝えられ、情報が錯綜している様子といっています。その殺害に関してはロイター発になっていました。おカミが確認した範囲では、日本語では、AFP通信のインターネットニュースが一番早かったように思います。

  *  *  *
 さて、一部の報道ドキュメンタリーなどをのぞけば、アフガニスタンの現状を、日本のテレビ・ニュースで報道しなくなってずいぶん経つ印象を持っています。イラクの混迷を前に、アフガニスタンもかすんでしまうのかも知れませんが、これらとて別々の問題とも思えず、つながっていることです。アメリカが描いた、アフガニスタンのデモクラシーや平和など実現していないことを伝えて欲しくても、どこの局もほとんど扱われません。
↓この動画ニュース、アフガニスタンの現地の一端がよく伝わってきます。良かったら、ご覧下さい。http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2258811/1868578
 最近のアフガニスタンに至っては一部の地域を除けば、非常に治安が悪くなってきていることを、多くの日本の方は、あまりご存知ないと思います。

 弊社の代表ベーグは、日本のテレビがアフガニスタン取材をされる時は、取材コーディネーターとして必ずお声がかかり、今回も久しぶりに、取材や通訳などのお問い合わせが続いています。それでもドキュメンタリーではなく、毎日のニュースで、というのは、2年程前に、広島県の教師おふたりがアフガニスタン・パキスタン国境付近で殺害された事件以来です。こういった事件でのみ出番がやって来るのも、複雑(な気分)です。
 報道されなくてもアフガニスタンの現地では、毎日、たくさんの命が失われていることが取り上げられることがないからです。特筆すべきなのは、アフガニスタンの無辜の民、一般市民がこれまで、戦闘にどれだけ巻き込まれ、あるいは誤爆という名の元に命を落としているか、日本の多くのみなさんがご存知ない方が多いこと。。。前述のURLでもAFP通信が、今年になってからNATO軍のISAFにより、推計250人の一般市民が殺されたという推計もある、と伝えています。

 話を戻しますが、3日ほど前、日本のテレビニュースではどの局も、「韓国人NGO23人が、護衛もつけず移動していたことで、批判を受けている」というニュアンスを伝えていましたが、ベーグに言わせると「たとえ銃を携帯した護衛を数人つけていたとしても、非常に危ない」ということでした。
 ↓タリバンが拉致した人質の救出作戦が行われている地域
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2258515/1856919
 ベーグは当初から、「もちろん解放される可能性もあるけれど、本当に殺されてしまう可能性も少なくない。ここのところ毎日のようにNATO軍にタリバン兵士が数十人の単位で殺されているし、背景は複雑。全体的な緊張度も高い。」と言っていました。その言葉と、はつらつとした若い韓国人の方々23人の報道写真の狭間でなんともいえない気分で過ごしていたのです。
 バローチースターンでは、以前、グアンタナ・モベイに収監されていたというタリバンのコマンダーがNATO軍に殺されたということも、この2,3日でありました。そういった要因が、より悪いほうに影響を与えなければいいな、とも。
 一方、ガズニの一般市民は、タリバンに対してデモをおこないました。コーランに人を拉致する、ましてや女性にそんなことをするなんて書いていない、など、アフガンの市民がデモで言っているのも当然のことでしょう。
 
 夫ベーグは、日本のジャーナリストさんたちのジャーナリスト・ビザがなかなか取れないことや、イスラマバードが大雨の影響などを受け、通信状態が悪く、電話もインターネットもイマイチな状態にイライラしています。我われ夫婦の会話(by電話)までケンカに発展しがち。インターネットと電話の前で、気分も波立ったまま、おひとりが殺害されたらしい、という報を22時代にAFP通信で知った次第です。8人が無事釈放されたらしいというあの吉報はどうなってしまったのか? それすらも今朝は確認されていない、ということに変わってしまった。22人の安否・・・韓国国民の方々のショック、ご家族の方たちの心配・悲しみ、ドイツ人が拉致・殺害されたことに引き続き、なりゆきを見守ります。
 
 ベーグは大使館に朝一番から、つめていると思われます。あるいは電話での通訳作業か。パシュトゥー語、ウルドゥー語などの多言語から、日本語への直接通訳できる人はほとんど、いないため。今日も忙しい1日になりそうです。

 本当は明後日から、ナンガ・パルパッド(8,125m)BCトレッキングに、山岳ガイドとして行くはずだったんですが、どうなってしまうことやら。
(N村さま、もしガイド同行ができなくなってしまったら、申し訳ありませんm(__)m)

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by silkroad_caravan | 2007-07-26 09:44 | アフガニスタンあれこれ
 地雷除去の番組を見て
 偶然、二日続けて、日本で地雷除去機製作に尽力されている方々のテレビ番組を見ました。ひとつは日立さんの話でした。もうひとつは、もっと小さな会社で製作の陣頭指揮をとられる社長さんが、自ら現地で除去機を試され、地雷爆発でご自分の片方の耳の鼓膜が破れてしまった後も尚、奮闘されるお姿でした。

 夫ベーグは、テレビ取材の報道コーディネートで、パキスタン隣国、アフガニスタンへはよく行きます。戦争報道の時もあります。そういった事情から彼はかたわらで、「この機械、素晴らしいんだ!」とか、「山がちで傾斜地の多いアフガニスタンだから、この機械を使用できない土地も多いんだ」「水もないような乾いた大地で、人力で、延々と緊張を強いられる地雷除去の作業をすることがどれだけストレスになるか」などいろいろ、いつものことですが、横で解説しまくります。

   ↓この写真は、小型センサーでの地雷除去作業準備中 カーブルにて ベーグ撮影
 
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 そしてふいに、こんなことを言い出しました。
 アフガニスタン取材に行った時、米軍のハンビー(高機動多目的装輸車両)を取材しようとテレビカメラを向けたとき、米兵から(取材しちゃ)ダメダメ、と身振りで示され、あきらめたそうです。その直後、米兵がそのハンビーから降り、その場で対戦車地雷が爆発した、と。「それって・・・・・・」「3人、米兵が亡くなったよ。吹っ飛んだ」。「・・・遺体は・・・?」「バラバラだよね。あのデカいハンビーも浮いたよ。戦車地雷が数個あったんだろう。黒煙が巻き上がったよ」。

 いつも事後報告でそんな話を、ふいに聞かされます。こうやってテレビを見ている時だったり、打ち合わせでディレクターさんと話をしている時だったり・・・。彼は、あきらかに取材後、私に言わないようにしているわけです、ギャーギャー文句言われますから。その取材は3年ぐらい前で、我が家の娘がまだ0歳だったと思います。子どもが生れてからは、あまり危ない取材には行かない、ということで夫婦で話はしていますが、実際にどれくらい危険な現場のフロントラインまで行っているかは私にはわからない。
 ディレクターのTさんも、危険を承知で行っているとはいえ、さぞ衝撃を受けられたでしょう。テレビ局の社員さんは、社命により、ここまで危ないような現場には行ってはいけないことになっているケースがほとんどですから、ご一緒しているのはフリーランスの方や、一部の、前線まで取材されるのは、ほんの何社かの方たちだと思います。

 さて、その時の話に戻ります。撮影クルーは道にいました。撮影ダメと言われ、あきらめて、ベーグはおしっこでもしようとしていたところだったそうです。道の端に赤い線が引かれており、その外側は地雷原。いつも取材時は、おしっこする場所にとても困るそうです。そしてその時、その戦車地雷が炸裂し、おしっこは衝撃ですっかり体内のどこかにいってしまった、と言いました。
 道にいた、と書きましたが、道を逸れたら命の保証はないのです。道にいるしかないのです。赤い線の外に一歩、踏み出す時、そう、土の上に残った人の足跡にぴったり合わせて歩を進めるしかありません。おしっこするのも命がけということです。

 世界中に地雷は1億個以上、埋められています。被害者の9割が非戦闘員、つまり無辜の民です。そのうち1/4が子どもだそうです。わざとオモチャに似せて作ってある地雷などが、まかれていますし、水を汲みにいったり、薪を拾いにいったりする子どもが犠牲になるのは想像に難くありません。

 私は、自分の娘が生れてから、こういうとき、こんな映像が浮かぶようになってしまったのです。アフガニスタンで、幼いうちの娘が水を汲みに行く。あるいは干ばつで干からびた元畑で、いとこやきょうだいと戯れる。そしてオモチャと見紛う地雷を拾ってしまう、そういった想像です。
 娘は父ベーグそっくりで、アフガニスタン人といえば通じる顔立ちですから、映像でよくみる向こうの幼子と、我が子がダブってしまうのです。被害にあって足を失った少女が、不自由な身体で食事を作っている姿などを見ても、うちの娘が将来、父親の田舎で同じように炊事しているだろう姿とダブるのです。こうして、犠牲になった子の、親や家族の悲嘆が、涙の一滴くらいわずかにしか過ぎないのですが、皮膚感覚で伝わってくるようで萎えてしまう。

 実は私自身、メディアで仕事をしていた時、人から頼まれて、地雷に関する本を日本で出版したカンボジア人の女性を撮影したことがありました。その若い女性は、カンボジアの地雷原で育ち大人になった人でした。小柄なカンボジアの娘さんが手の平に乗せて見せてくれた、安価で作れて、人を殺さず生かして生活を奪う、その地雷のあまりの小ささにショックを受けたように記憶しています。

 パキスタン人のベーグと結婚し、メディアにいたとき以上に、世界の見方がずいぶん変わった私です。2児の母になり、その考えもまたわずかですが多層的になりました。とは言え、できたことって、ほとんどないのが悔しいです。

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by silkroad_caravan | 2007-06-08 11:02 | アフガニスタンあれこれ
 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇
 アフガニスタンクーチーと呼ばれる遊牧民たちがいます。クーチーは、”生活もろとも出発する、発つ”という言葉の意味です。夫ベーグはアフガニスタンを取材中に何度も彼らのキャラバンを目にし、知り合いも何人かいるようです。
 彼らは大所帯、大家族をひとつの単位として、何十頭ものラクダや、何百頭もの山羊・羊・ロバ・馬・犬たち、そして手作りのテント、家財道具もろとも、アフガニスタンを拠点に、ウズベキスタンやタジキスタンへ、あるいはパキスタン、インド、イランと、国境をまたいで移動しながら生活して来ました。北から南まで、気候にあわせて、草を求めて、国境など関係なく生きてきたのです。それぞれが自分達の移動のルートを持っており、その歴史は何千年もの間、続いてきたようです
 
 彼らは移動しながらの生活で、家畜からチーズやバターを作り、草木や石で染めた絨毯を織り、あるときは家畜を食肉として、それらを売り、また移動していきます。
 女性は移動生活を続けながら子を産み、そのひよひよした幼な子はロバに乗せ、いつかその子も自らの足で大地を踏みしめ歩くようになっていく。そしていつか歳をとり再び、馬やロバの背に揺られる。また、小さきものはたとえ家畜でも、ロバの背に乗せて移動させると聞きました。そう、山羊や羊の赤ちゃんたちのことです。
 彼らは他の民族と交わることを嫌い、独自の生活を守ってきました。隊列の前後には番犬を配置させ、他人が安易に近寄ることを拒んできたそうです。
 またクーチーの女性達は、アフガニスタンにあってもこれまで顔を隠すこともなく生きてきたそうです。何千キロも歩き続けるその屈強な体に、大きなブルーや黒の瞳をたたえ、手作りの独特な衣装を纏うその姿はそれは艶やかだ、とベーグはいいます。彼女達は、すべて手で、糸を紡ぎ、ウールを染め、絨毯(ギリム)を織り、テントを縫い、自分達の衣装も作ってきました。

 ベーグはクーチーたちから人間の圧倒的なたくましさを感じる、そういいます。パキスタン北部の、自然環境が過酷な秘境フンザで育ったベーグにとって、たくましい生活は当たり前のことで、あえて人に対して使うことなどありません。エベレストに登頂した、というようなニュースを聞いても「あ、そう」といった感じで、すごい、とはまったく思っていない様子のベーグも、クーチーに対しては何か、こう、特別な敬意を持っているようにもみえます。

d0106555_181291.jpg そんな彼らが2001年同時多発テロ事件~アフガニスタン戦争後の影響も大きく受けて、自由な移動ができなくなりました。彼らの道が紛争地帯となり、あるいは地雷が埋められて、移動することができなくなってしまったのです。子どもたちや家畜が地雷の被害者となり、片足を失うなどのケースが続きました。そしてクーチーたちは、しかたなくパキスタン領内に留まるようになりました。こうして先祖代々、移動することが生きることであった民が、移動をやめたのです。定住生活を始めた家族もありました。とはいえ他の難民のように、難民登録をし保護してもらえるチャンスすら少ない彼らでした。彼らの成り立ちからいって、難民のカテゴリーにも入れてもらえないケースが多いからです。

↑アフガニスタン、クナールで出会ったクーチーの少女

 折りに触れクーチーのことを気にしているベーグですが、彼がいうには現在、そんなクーチーたちが、他のアフガニスタンの難民の方たちと共に、パキスタン領内からアフガニスタン領内に強制的に帰されつつある、ということです。(アフガニスタン難民については、別途また、詳しく書きたいと思っていますが)、今のアフガニスタンに帰されても、家畜に食ませる草ひとつなく、移動は依然として困難で、彼らの困窮~悲劇は目に見えています。

 こうしてクーチーの存在そのものが危機にさらされている、といえましょう。彼らは移動を続け、元来、それぞれの地域の人々にも遠方からのニュースを運んでくれる使者でもありました。国境やビザなど関係なく生きてきた、平和の民なのです。彼らが伝統や習慣、内なる誇りを守りながら、独自の生活を続け生きていくことができるか、私たちは見守るしかできません。

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by silkroad_caravan | 2007-05-24 15:30 | アフガニスタンあれこれ



フンザへ嫁ぎ、パキスタン政府公認現地旅行会社&取材業に励む日本人女子が綴る仕事最前線やスローライフ。アフガニスタン取材も得意。Silkrad Caravan Tour, TV Media coverage
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