地雷除去の番組を見て
 偶然、二日続けて、日本で地雷除去機製作に尽力されている方々のテレビ番組を見ました。ひとつは日立さんの話でした。もうひとつは、もっと小さな会社で製作の陣頭指揮をとられる社長さんが、自ら現地で除去機を試され、地雷爆発でご自分の片方の耳の鼓膜が破れてしまった後も尚、奮闘されるお姿でした。

 夫ベーグは、テレビ取材の報道コーディネートで、パキスタン隣国、アフガニスタンへはよく行きます。戦争報道の時もあります。そういった事情から彼はかたわらで、「この機械、素晴らしいんだ!」とか、「山がちで傾斜地の多いアフガニスタンだから、この機械を使用できない土地も多いんだ」「水もないような乾いた大地で、人力で、延々と緊張を強いられる地雷除去の作業をすることがどれだけストレスになるか」などいろいろ、いつものことですが、横で解説しまくります。

   ↓この写真は、小型センサーでの地雷除去作業準備中 カーブルにて ベーグ撮影
 
 地雷除去の番組を見て_d0106555_1103982.jpg

 そしてふいに、こんなことを言い出しました。
 アフガニスタン取材に行った時、米軍のハンビー(高機動多目的装輸車両)を取材しようとテレビカメラを向けたとき、米兵から(取材しちゃ)ダメダメ、と身振りで示され、あきらめたそうです。その直後、米兵がそのハンビーから降り、その場で対戦車地雷が爆発した、と。「それって・・・・・・」「3人、米兵が亡くなったよ。吹っ飛んだ」。「・・・遺体は・・・?」「バラバラだよね。あのデカいハンビーも浮いたよ。戦車地雷が数個あったんだろう。黒煙が巻き上がったよ」。

 いつも事後報告でそんな話を、ふいに聞かされます。こうやってテレビを見ている時だったり、打ち合わせでディレクターさんと話をしている時だったり・・・。彼は、あきらかに取材後、私に言わないようにしているわけです、ギャーギャー文句言われますから。その取材は3年ぐらい前で、我が家の娘がまだ0歳だったと思います。子どもが生れてからは、あまり危ない取材には行かない、ということで夫婦で話はしていますが、実際にどれくらい危険な現場のフロントラインまで行っているかは私にはわからない。
 ディレクターのTさんも、危険を承知で行っているとはいえ、さぞ衝撃を受けられたでしょう。テレビ局の社員さんは、社命により、ここまで危ないような現場には行ってはいけないことになっているケースがほとんどですから、ご一緒しているのはフリーランスの方や、一部の、前線まで取材されるのは、ほんの何社かの方たちだと思います。

 さて、その時の話に戻ります。撮影クルーは道にいました。撮影ダメと言われ、あきらめて、ベーグはおしっこでもしようとしていたところだったそうです。道の端に赤い線が引かれており、その外側は地雷原。いつも取材時は、おしっこする場所にとても困るそうです。そしてその時、その戦車地雷が炸裂し、おしっこは衝撃ですっかり体内のどこかにいってしまった、と言いました。
 道にいた、と書きましたが、道を逸れたら命の保証はないのです。道にいるしかないのです。赤い線の外に一歩、踏み出す時、そう、土の上に残った人の足跡にぴったり合わせて歩を進めるしかありません。おしっこするのも命がけということです。

 世界中に地雷は1億個以上、埋められています。被害者の9割が非戦闘員、つまり無辜の民です。そのうち1/4が子どもだそうです。わざとオモチャに似せて作ってある地雷などが、まかれていますし、水を汲みにいったり、薪を拾いにいったりする子どもが犠牲になるのは想像に難くありません。

 私は、自分の娘が生れてから、こういうとき、こんな映像が浮かぶようになってしまったのです。アフガニスタンで、幼いうちの娘が水を汲みに行く。あるいは干ばつで干からびた元畑で、いとこやきょうだいと戯れる。そしてオモチャと見紛う地雷を拾ってしまう、そういった想像です。
 娘は父ベーグそっくりで、アフガニスタン人といえば通じる顔立ちですから、映像でよくみる向こうの幼子と、我が子がダブってしまうのです。被害にあって足を失った少女が、不自由な身体で食事を作っている姿などを見ても、うちの娘が将来、父親の田舎で同じように炊事しているだろう姿とダブるのです。こうして、犠牲になった子の、親や家族の悲嘆が、涙の一滴くらいわずかにしか過ぎないのですが、皮膚感覚で伝わってくるようで萎えてしまう。

 実は私自身、メディアで仕事をしていた時、人から頼まれて、地雷に関する本を日本で出版したカンボジア人の女性を撮影したことがありました。その若い女性は、カンボジアの地雷原で育ち大人になった人でした。小柄なカンボジアの娘さんが手の平に乗せて見せてくれた、安価で作れて、人を殺さず生かして生活を奪う、その地雷のあまりの小ささにショックを受けたように記憶しています。

 パキスタン人のベーグと結婚し、メディアにいたとき以上に、世界の見方がずいぶん変わった私です。2児の母になり、その考えもまたわずかですが多層的になりました。とは言え、できたことって、ほとんどないのが悔しいです。

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by silkroad_caravan | 2007-06-08 11:02 | アフガニスタンあれこれ
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