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アフガニスタン ペシャワール会 伊藤さんの事件の後
伊藤さんのご遺体は日本のご家族の元へ戻られたころでしょうね。
伊藤さんのやり遂げようとしたことが、“食料の自給”と“安定を通じた平和
だったと、今日の新聞で読みました。長期のビジョンを持ったその長い道のり、
まだご自身の手でやりたいこと、目で見たいことがたくさんおありになったこと
でしょう。

弊社にたくさんある、この10年間のベーグ撮影によるペシャワール会の写真。
これはペシャワール会さんの写真と思っていますので、うちでお見せすることは
控えていましたが今回、会の活動、百聞は一見にしかず・・・そんな気持ちで、
数点、アップします。

All photo right by Amin Ullah BAIG, Silkroad Caravan
写真の無断転載はかたくお断りいたします
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ペシャワール会が完成させた水路
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荒地がみどりの大地へ。ほんの数十年前まで旅人たちが、
理想郷のようなところだと言ったアフガニスタンがあった。
ペシャワール会の活動で、大地にみどりが、作物が戻った。
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水汲み
に来た子どもたち
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井戸を見るスタッフの方と現地の人々
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真ん中右にドクターサーブ中村先生が見える
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先生の話を聞く村人たち
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ブルトーザーを操作する中村先生
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ペシャワール会用水路の技術師ヌール・ザマン氏(右)と弊社ベーグ(左)
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用水路の門を作る風景
by silkroad_caravan | 2008-08-31 01:59 | アフガニスタンあれこれ
アフガニスタン ペシャワール会伊藤さん拉致事件 3
昨日、今日と夫ベーグは民放テレビ朝日さんと共にイスラマバードから、アフガンの現地アシスタントに指示出しし撮影してもらった映像を衛星で東京に送る、という遠隔作業をずっとやっていました。

昨日のブログでは、昨日28日、ブディアライ村での伊藤さんお別れの会で、180人の村人がお別れに参列と書きましたが、これは室内の人数でした。室内に入りきらない数百人の村人たちは外で、あるいはその後、ヘリコプターで伊藤さんのご遺体が搬送される場で、お別れされたそうです。
「恩を仇で返すことになってしまい恥ずかしい。どうか全てのアフガン人がそうだとは思わないで欲しい」。そういった現地の声や、伊藤さんを讃える村人の声が多数あったそうですね。もし自分がブディアライの村人だったとしたら・・・、やっぱり同じように思う、と思います。犯人捜索では、村人たちも一丸となって、加わったそうですね。

今日のネットのニュースにて、伊藤さんがこれまでにご自身のカメラで撮影された300枚の写真の一部を拝見しました。

私もペシャワール会のテレビドキュメンタリー撮影中に夫ベーグが写したスナップ写真をこれまでずっと見てきました。疲弊した大地、何年も続く厳しい旱魃風景、戦闘で荒れた土地、中村先生が自らブルトーザーを操作する姿(最初、びっくりしました)、村人たちが用水路を作る風景、現地の人たちと共に働く日本人の若いスタッフの方々、メスでなくブルトーザーを握るようになったドクターサーブ中村がタバコで一服される姿、先生たちのために野外でチャイをつくる少年、そして最近では黄金色に実る作物、緑の大地、立派な水門

それにしても伊藤さんが写したという、黄色い花が絨毯のように広がる畑で微笑む少女などいくつかのスナップに、見入ってしまいました。何かこう・・・打たれるものがありました。

荒地を何時間も水汲みに行かなければならなかった女や子どもたちが、近くで水を汲み、花や収穫に微笑むことができる大地になる。大変なスケールで水を作り出し、みどりを戻して、現地の人々が本当の意味で生きていけるようにしてきたペシャワール会。
All photos copyright by Amin Ullah BAIG, Silkroad Caravan
写真の無断転載をかたくお断りします
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亡くなった方が美談や、時に伝説めいていくことが、あまり好きではない私ですが、
それにしても乾いた大地で、現地の人々と共に、自分の損得を度外視し、志を持って現場で働いてこられた伊藤さんという立派な青年の早すぎる死に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ご両親のご無念、いかばかりか。ご立派な息子さんを持たれたのですね。どんなにご立派でも、こういうお別れに胸がつぶれる思いでいらっしゃることと思います。いつか機会に恵まれましたら、伊藤さんの見た感じた風景や人、生活の写真の数々をなんらかの展覧会にして見せていただけたらペシャワール会のサポーターとして幸せです。
 *
今、夫ベーグからの電話で、伊藤さんのご遺体が中村先生と共にカーブルからドバイ経由で日本へ向けて飛び立った映像の電送が終わった、と連絡が入りました。
ペシャワール会の皆さん、これからも応援しています。

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by silkroad_caravan | 2008-08-29 22:57 | アフガニスタンあれこれ
アフガニスタン ペシャワール会伊藤さん拉致事件 2
今朝は朝6時に、電話がなりました。日本の民放他社さんの取材コーディネーター(パキスタン人)からでした。イスラマバードアフガンのテレビ・コーディネーターからも、情報を入手したくて、うちに電話がかかってくる。やれやれ・・・なんでうちにかけてくるんだろう。

夕べは、ペシャワール会代表中村哲医師がイスラマバードへご到着。
夫ベーグは取材側でもあったのですが、中村先生に直接カメラを向けることはしたくなかったらしく・・・。パキスタンの友として、ペシャワール会のサポーターとして、たくさんのカメラを向けられた中村先生を空港出口からお守りするように、車へとお連れしたそうです。ご心中察して余りあります。「本当に残念・・・」先生の言葉。先生はそのままペシャワール、ジャララバード入りされました。

今日は午前中、伊藤さんのご遺体は別の場所のまま、現地の村人たち180人と共にお別れの会がとりおこなわれ、その後、州知事が手配した2機のヘリコプターで、ご遺体はカーブルに搬送されたそうです。

一時は30発の銃弾が打ち込まれていたとかいう誤報も日本であったそうですが、実際は足に2発の銃弾の痕があり、また頭部に怪我があったというのが事実です。ペシャワール会からの報告なので、確かです。

午前中のお別れの会で、先生は、「他の日本人スタッフは全て帰し、私がひとり残る。
伊藤さんがこのアフガンを緑豊かな幸せな土地にしたい、と願ったことを、私はあきらめない」と、おっしゃったそうです。

パキスタンの難民となったアフガニスタンの数多な人たちは、帰還しても、帰還させられてもがなく、土地がなく、がなく、そもそも長年続く旱魃で水がなく・・・実際、生きていけない過酷な状況におかれていました。
ペシャワール会は、その荒地となった大地に井戸を掘り、用水路を作り、水ができたところに農業支援し、人々がそこで根付いて生きていけるように不屈の精神で活動されてこられました。
外国政府や国連さえも、できなかった活動です。これまで、本当に数多くのNGO活動を見てきたベーグも、ペシャワール会と他のNGOをひとくくりでなど語れない、と言います。先生は、皆が語らぬ本当のアフガンの真実を語られ、尽力されてきたことで、それがゆえに要らぬジェラシーを受けたり・・・敵も作ってこられたかも知れません。
「某新聞が『自信と過信』なんて見出しで記事書いているよ」とベーグに言いましたところ、「何もしらない奴らが、ペシャワール会がこれまで何をしてきてか、安全対策もどれだけしてきたか・・・・・・知らない奴らに限ってそういうことを書くんだと」と、声を荒げました。

               ペシャワール会のファーム・ハウス
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犯人は、山の向こうの隣州、ラフマン州の人間だと先ほど、聞きました。現地の人が話すパシャイー語を理解することも話すこともできないそうです。
少なくとも現地の人々は、パシュトゥンであれ、タリバンであれ、中村先生たちを攻撃しようと思わないだろう、これまでの数々の活動の難局でも攻撃は受けてこなかったし、それほどの厚い信頼をペシャワール会は地域一体から受けていたと、ほぼアフガン現地人?のベーグは語っています。

All photos copyright by Amin Ullah BAIG, Silkroad Caravan
写真の無断転載をかたくお断りします

用水路の新しい門完成式で挨拶する中村医師
「あなたたちに必要なのは武器ではない、食料です」と語っていらっしゃった
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中村医師の話を聞く村の長老たち
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by silkroad_caravan | 2008-08-28 20:46 | アフガニスタンあれこれ
アフガニスタン ペシャワール会伊藤さん拉致事件 1
ブログにのんびり、“久しぶりにイスラマバード事務所兼自宅に戻って来ました”と書くつもりでした。
昨日の朝、子どもたちを屋上で水遊びさせていた時、夫ベーグの携帯が鳴り、民放さんからの知らせで中村哲医師のペシャワール会スタッフ、伊藤さんの誘拐事件の辛い知らせが入ると共に、仕事が始まりました。

日本では、ずいぶん情報が錯綜しているそうですね。
ベーグも現地警察や、関係各所と連絡を取り合い最新情報を入手、取引先民放さんとやりとりしています。
ベーグ携帯が通話中の間に、不在着信が数回入る状態が続き、今朝はシャワー・ルームから「これじゃ、シャワーも浴びられない!」と、悲鳴を上げるほどの立て込みようとなって来ました。

ペシャワール会のテレビドキュメンタリー取材は、日本電波ニュース社さんの谷津さんと共に、この10年、継続して従事させていただき、また先生の野外診療の現地語通訳なども時には務めてきたことのあるベーグです。
この春の取材時には、電波さんと共に、今回不幸に見舞われた伊藤さんに会いに、ペシャワール会の農場支援の現場、ファームハウスまで出かけて行きました。
「アフガニスタンを愛し、すっかりアフガン人のようになっていたからね、伊藤さんは。ずっとこっちに住んで、お嫁さんもこちらでもらっちゃおうかなって、その時、冗談言っていたなぁ」、とベーグ。「とても良い人だったよ。とうもろこしやお茶、ハーブ、いろいろなものの栽培を実に熱心に研究していた」、とも。
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US Army helicopter in Darae Noor, Afghanistan 2008 photo by Amin Ullah BAIG

他のNGOとの比較を許さぬほどアフガン現地に密着し、たゆまぬ支援を長く続けてこられたペシャワール会の中村医師、そしてスタッフのみなさんのご心中を考えるとたまりません。そして、これまでペシャワール会の活動を支えてきた多数の日本の支援者のみなさんたちを含め・・・どれほど哀しんでいらっしゃることでしょうか。

31歳の若い命を奪ったアフガン情勢、日本の多くの方がイラクのニュースを目にしている間に、ますます混迷を深めていました。今回の事件がタリバンの犯行だったかは、わかりません。みなさんが2001年同時多発テロ事件以降のアフガン戦争で知った当時のタリバンと、今のタリバンもまったく違うものになってしまっています。

これからベーグの荷造りをします。自分の荷造りもできない状態のまま、今夜から、取引先民放さんたちがイスラマバード国際空港ご到着で~ペシャワール入り。刻々、状況が変わっています。朗報は、ペシャワールへは、新しいモーター・ウェイができて、到着までの時間が短縮したことでしょうか。

今回の悲しい事件がきっかけとなって、伊藤さんが哀しむようなペシャワール会活動の今後の展開とならないで欲しいです。

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by silkroad_caravan | 2008-08-27 19:59 | アフガニスタンあれこれ
ペシャワール~ライチョウ~登山靴 の話
何組かのお客さまが日本に帰国され、毎度のことながらほっとしている夏の午後です。
Nさんは、天候にも恵まれK2・バルトロトレッキングが早めに終わってイスラマバードにご到着。日にちが余ったらペシャワールにも是非行きたい、とのリクエストが以前からあったので追加手配で、今日、北西辺境州へと再び旅立たれました。行きは高速バスで、帰りはおそらく鉄道で・・・パキスタンのローカルライフを満喫されて来られることでしょう! 

   写真↓は、ライチョウ(雷鳥)。カラコルムではなく(汗)・・・、南アルプスでの一枚。
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夫ベーグが日本の山づいており(もちろん仕事で)、毎回、日本の山や高山植物の写真を山のように撮ってくる中で、思わずなごんだこのライチョウのカット。親子ですねぇ、かわいい。
一度、目にしてみたかったライチョウ。平地で見れるはずはないですが、まさかパキスタン人の夫に先を越されるとは・・・(笑)。
夫は、ここ数年、2001年同時多発テロ事件以降の世界の中で、テレビ取材の仕事、あるときは戦争報道に大きく時間を費やし、身を削ってきました。こうして山を愛するお客さんたちと山深く登っていく、これが”山のヒト”である夫にとってどれだけ大きな喜びか・・・、土産話を聞いているだけでもニコニコしてしまいます。

話は変わりますが、夫は今回の登山前日に登山靴を新調しました。2001年にアフガニスタン登山遠征時から愛用していた登山靴、7年経ったかぁ。高田馬場のカモシカスポーツさんで購入しました。

そして、、、夫が尾根づたいのヒトとなったその翌々日、夫の古くからの知り合い、日本人女性登山家さんからEメールが届きました。そして、その中にこんな言葉が・・・。
「10数年ぶりにインドで登山だったのですが、アラー神の怒りに触れたのか、メンバーの中、3人もの登山靴が壊れ中止に。笑ってやってね」と。
カラコルム・ヒマラヤをこよなく愛してくださるメンバーのみなさん。パキスタンと係争中のインドの山に登ったからかしら・・・風な小話で、大笑いしてしまいました。日本から遠征で行かれたメンバーのみなさまにはとても笑えない話ですよねぇ。こういうこと、よくあるんです。
しかしながら、(値段、高いなぁ・・・登山靴・・・)なんて思っていたので、登山靴から我々夫婦にも警告のメッセージが送られてきた気分がしたのが正直なところなのです。装備は大切です、今さらながら実感。

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by silkroad_caravan | 2008-08-13 16:52 | パキスタンあれこれ
K2遭難事故 史上最悪の惨事に
ラシュ・ピーク登頂をされたお客さんがイスラマバードに戻られるのでお迎えしようとしていたスタッフの元に、K2(8,611m) 史上最悪の遭難事故の知らせが入ってきました。それ以降、情報収集に追われる事態に・・・。こちら日本連絡事務所にも情報とともに、発見されシュラフに包まれた遺体の現場写真などが入ってきて、今更ながらショックを受けています。

今回、弊社のお客さんではなかったのですが、夫ベーグやスタッフたちの知人でもあるフランス人クライマーも犠牲になりました。
ベーグの故郷からは、アッパーフンザ最奥、シムシャール村の若く有望な青年2人が亡くなりました。ひとりの青年は、父方の遠い親戚でした。ハイ・ポーター(高所ポーター)として登っていたのです。もうひとりはレスキュー隊として二次災害での死でした。”山が好き”、”責任感”など、登った理由はひとつではないでしょうが、いずれも生活のための今回のK2登山だったといえます。
われわれは外国からの知り合いと、現地サイドの両方で、3人もの友、親戚を亡くすことになってしまいました。

11人死亡。遭難の様子から遺体が発見されない方も出てくることでしょう。
11人の内訳は、韓国人、ネパール人、フランス人、アイルランド人、セルビア人、ノルウェー人、パキスタン人。他負傷者にオランダ人、イタリア人
これだけ多くの外国人登山家を巻き込んだ今回の遭難。われわれも哀しみに暮れ、また浮かび上がるいくつもの問題点にマユをひそめてもいます。自然の問題、そして自然のせいばかりにはできないいくつもの問題点。

8,211m地点のボトル・ネックと呼ばれる付近で、ロープが切れたのが先か、氷塊の崩落~雪崩が先か・・・・・・。直撃を免れた人々もパニックに陥り、戻るべき道が分からなくなっていた、と聞こえてきています。ただのパニックではないでしょう。極めて酸素が薄く、ただでさえ、人間が普通の状態ではいられない場所です。

お金を投じれば登頂するのが比較的容易(という言い方が妥当かわかりませんが)になっているネパールエベレスト登山と違い、難易度は数倍高い、といわれるこのK2登山。それにしても、いくつもの不運が重なって起きました。

ベーグが隣りでつぶやいています。
「皮肉な話だねぇ。危険だ危険だと、やや偏った報道もされているパキスタン報道により、日本からの登山家が減っているここ数年だけれど、他国の登山家たちはこんなにたくさん登りに来ていることが日本の方にも今回、こんなカタチでわかったねぇ・・・」。

そしてまた2001年にアッパー・フンザのシムシャール村へ日本人のグループをお連れした時のことを思い出します。
その日は、アッパー・フンザ、ゴジャール地区の村対抗ポロのトーナメント優勝決定戦の日でした。私たち夫婦は、日本人ゲストたちと共に来賓として呼ばれ、ベーグは閉会式で壇上に上がり挨拶をしました。その時、話はスポーツにとどまらなく、シムシャールの現状、未来などに触れていたのですが、その中でベーグは村の若者たちに、「安易に・・・とまでは言わないが、みながみな揃って山を職業に選ぶのはやめるべきだ」という話をしていたのでした。
標高3100m地帯にあり、アッパーフンザの中でも最奥にあるシムシャール村。人々は、アッパーフンザの中でも最も屈強な体力を持っています。彼らの夏村はパミールにあり、そこに至っては5,000m地帯。ここで夏の間、赤ちゃんが誕生することも少なくないのですよ。生まれおちた瞬間から、乾いた大地、薄い酸素の中で生きていかなければならないシムシャール人、抜群の心肺機能を持っています。こうした環境下、8000m峰をすべて登っている登山家を輩出したり、またハイポーターを一番多く輩出してのもこの村なのでした(女性登山家も輩出しています)。
パキスタン北部には多くの民族がいる中で、今回、ふたりもの若者を失ったシムシャール。陸の孤島のように渓谷の奥に広がった村が今、哀しみに包まれているのが皮膚感覚で伝わってくるようです。麦が黄金色に実り始めているだろうあの美しい風景が哀しみに暮れているにちがいありません。

亡くなった方々に心より哀悼の意を表します。
by silkroad_caravan | 2008-08-06 12:42 | パキスタン北部あれこれ



フンザへ嫁ぎ、パキスタン政府公認現地旅行会社&取材業に励む日本人女子が綴る仕事最前線やスローライフ。アフガニスタン取材も得意。Silkrad Caravan Tour, TV Media coverage
by silkroad_caravan
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弊社は 

シルクロードキャラバン社

現地旅行会社&
取材・コーディネーション
パキスタン政府ライセンスNo.889
PAKISTAN, AFGHAN
テレビ雑誌取材/リサーチ/
通訳/版権交渉/
NGOロジスティクスサポート

旅行業
: フンザの旅/
パキスタン北部トレッキング
/仏教の道/ガンダーラ/
シルクロード/世界遺産/時々イランや中央アジアも
代表アミン・ウラー・ベーグ
Tel: 046-875-1686
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