<   2007年 05月 ( 9 )   > この月の画像一覧
 アフガニスタン、クーチー(遊牧民)たちの悲劇
 アフガニスタンクーチーと呼ばれる遊牧民たちがいます。クーチーは、”生活もろとも出発する、発つ”という言葉の意味です。夫ベーグはアフガニスタンを取材中に何度も彼らのキャラバンを目にし、知り合いも何人かいるようです。
 彼らは大所帯、大家族をひとつの単位として、何十頭ものラクダや、何百頭もの山羊・羊・ロバ・馬・犬たち、そして手作りのテント、家財道具もろとも、アフガニスタンを拠点に、ウズベキスタンやタジキスタンへ、あるいはパキスタン、インド、イランと、国境をまたいで移動しながら生活して来ました。北から南まで、気候にあわせて、草を求めて、国境など関係なく生きてきたのです。それぞれが自分達の移動のルートを持っており、その歴史は何千年もの間、続いてきたようです
 
 彼らは移動しながらの生活で、家畜からチーズやバターを作り、草木や石で染めた絨毯を織り、あるときは家畜を食肉として、それらを売り、また移動していきます。
 女性は移動生活を続けながら子を産み、そのひよひよした幼な子はロバに乗せ、いつかその子も自らの足で大地を踏みしめ歩くようになっていく。そしていつか歳をとり再び、馬やロバの背に揺られる。また、小さきものはたとえ家畜でも、ロバの背に乗せて移動させると聞きました。そう、山羊や羊の赤ちゃんたちのことです。
 彼らは他の民族と交わることを嫌い、独自の生活を守ってきました。隊列の前後には番犬を配置させ、他人が安易に近寄ることを拒んできたそうです。
 またクーチーの女性達は、アフガニスタンにあってもこれまで顔を隠すこともなく生きてきたそうです。何千キロも歩き続けるその屈強な体に、大きなブルーや黒の瞳をたたえ、手作りの独特な衣装を纏うその姿はそれは艶やかだ、とベーグはいいます。彼女達は、すべて手で、糸を紡ぎ、ウールを染め、絨毯(ギリム)を織り、テントを縫い、自分達の衣装も作ってきました。

 ベーグはクーチーたちから人間の圧倒的なたくましさを感じる、そういいます。パキスタン北部の、自然環境が過酷な秘境フンザで育ったベーグにとって、たくましい生活は当たり前のことで、あえて人に対して使うことなどありません。エベレストに登頂した、というようなニュースを聞いても「あ、そう」といった感じで、すごい、とはまったく思っていない様子のベーグも、クーチーに対しては何か、こう、特別な敬意を持っているようにもみえます。

d0106555_181291.jpg そんな彼らが2001年同時多発テロ事件~アフガニスタン戦争後の影響も大きく受けて、自由な移動ができなくなりました。彼らの道が紛争地帯となり、あるいは地雷が埋められて、移動することができなくなってしまったのです。子どもたちや家畜が地雷の被害者となり、片足を失うなどのケースが続きました。そしてクーチーたちは、しかたなくパキスタン領内に留まるようになりました。こうして先祖代々、移動することが生きることであった民が、移動をやめたのです。定住生活を始めた家族もありました。とはいえ他の難民のように、難民登録をし保護してもらえるチャンスすら少ない彼らでした。彼らの成り立ちからいって、難民のカテゴリーにも入れてもらえないケースが多いからです。

↑アフガニスタン、クナールで出会ったクーチーの少女

 折りに触れクーチーのことを気にしているベーグですが、彼がいうには現在、そんなクーチーたちが、他のアフガニスタンの難民の方たちと共に、パキスタン領内からアフガニスタン領内に強制的に帰されつつある、ということです。(アフガニスタン難民については、別途また、詳しく書きたいと思っていますが)、今のアフガニスタンに帰されても、家畜に食ませる草ひとつなく、移動は依然として困難で、彼らの困窮~悲劇は目に見えています。

 こうしてクーチーの存在そのものが危機にさらされている、といえましょう。彼らは移動を続け、元来、それぞれの地域の人々にも遠方からのニュースを運んでくれる使者でもありました。国境やビザなど関係なく生きてきた、平和の民なのです。彼らが伝統や習慣、内なる誇りを守りながら、独自の生活を続け生きていくことができるか、私たちは見守るしかできません。

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by silkroad_caravan | 2007-05-24 15:30 | アフガニスタンあれこれ
 叔父たちのホテル  アッパー・フンザのホテルも親戚だらけの巻
 インターネットでフンザのことを見ていたら伯父のホテルのHPを見つけました。(あら~、伯父さん、HP作っていたんだぁ~、フンザもそういう時代なんだなぁ)。素敵なホテルなので、ご紹介させていただきます。

 アッパーフンザ ゴジャール地区グルミット村にある、シルクルート・ロッジです。http://www.silkroutelodge.com/index.html カラコルム・ハイウェー沿いにあり、大きいですし、わかりやすいです。
広々とした美しいホール&ダイニングルームには、マルコポーロ・シープやアイベックスの立派な角が頭上に飾られていて、最初はちょっとビックリ。美しいトポプダン峰を眼前に眺めながら、フンザのハーブティー、トゥモロでゆっくりするのが乙かな。
親戚だからではなく、旅行業者としても、素敵なホテルといえるのではないか、と思います。シーズン中は欧米人でにぎわっています。お料理も美味しい!

 オーナーの伯父アブザルは一見ヨーロピアンのような顔立ちをしている人です。いつも優しそうな微笑を浮かべていて、鼻についたおヒゲもよくお似合い。こういう俳優さん、ハリウッドにいなかったっけ、と思いたくなるナイス・ガイ。振るまいも紳士的。5つ星セレナホテルなどで様々な経験を積んだ後、フンザの中心地カリマバードだけでなく、アッパーフンザのツーリズムのためにも、きちんとしたサービスをご提供できるホテルを作らなければ!と、このホテルを立ち上げたそうです。

 ついでなので、他の親戚のホテルもご案内したくなってきました。
 以下、いくつかは故郷パスー村のホテルです。アッパーフンザ、パスー村入り口(カラコルム・ハイウェー沿い)に立つ一番古いホテル、パスー・イン。こちらも叔父のホテルです。こちらは美しいとは言い難い^_^;ですが、パスーでは、一番古くからツーリストやバック・パッカーの拠点となってきたところです。いつも、中庭でのんびり本を読んだり、おしゃべりをしたりする旅人でにぎわっています。近年、欧米人や日本人に混じり、韓国・中国・シンガポール・マレーシアなどからの旅人もぽつぽつ見かけるようになりました。私もパスーの自宅にいる時は、ちょくちょく出入りしています。
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 ↑この写真は、パスー・インの庭でのスナップです。私もプライベートタイムでして、弊社のお客さまではなく(汗)、ユーラシア大陸を横断中のバック・パッカーたちや、うちのガイドたちと共にくつろぎ、なぜかギターにあわせて謳っております。

 さて、オーナーで叔父の、ゴラム・ムハンマドについてちょっと書きましょう。彼はいかにも人の良さそうな顔立ちで、まさにフンザの好々爺に見えるけれど、実はかなり辛らつな人です。オーナーとしては、あまりにもモラルがなさそうだったり、ハシシを吸ったりしそうなバック・パッカーさんに、空き部屋があるにもかかわらず、満室だと言ってことわっている姿も私は何度か目撃しました。フンザ(特にここの子ども達に)に悪いモラルを持ち込みそうな方はパスーに滞在お断り、ってことなんですね。
 ちなみに、ゴラム叔父は、70~80年代にかけては有名なマウンテナーであり、ハイ・ポーター(登山における高所ポーター)でした。私生活では、10人近く(正確には多くてよくわからない)子どもを持つ子沢山でもあります。(60代にして末っ子はまだ幼児! 行く度に子どもが増えていて、私はギョーテン!)

 同じくパスー村のパスー・ピーク・インは、叔父アクバル・シャーのホテルです。村の真ん中からは少し離れているバック・パッカー御用達ホテルなので、弊社のお客さまをご案内することはないけれど・・・。
 アクバル叔父さんは、軍を退役した後、この宿を開きました。役者のように大げさな身振り手振りが、すごく特徴的な人で、かなりオモシロイ人です。彼があまりにも面白いので、彼の物真似をする村人が、けっこういるくらいなんですよ。
 パスー・ピーク・インはやはりカラコルム・ハイウェー沿いにあるため、私は時々、うちのジープで通り過ぎるのですが、それをアクバル叔父に見つかると怒られます。「なんで素通りしたんだ。お茶をしていけ!」ってね。
 いつか、夫ベーグが、他の大きなホテルの庭で、外国のお客様のために宴を主催したことがあったのですが、そこにアクバル叔父がやって来ました。その後、滅多に飲まないお酒も手伝って、いつの間にか、主催者はまるでアクバル叔父!という雰囲気になっていた、ということがありましたねぇ。(これは役者が一枚も二枚も上だ)と、思わずにんまりした私です。フンザでは、昔の日本と同じで、年長者を敬うのが当たり前になっていますから、異存はございませんっ。逸話の多い叔父ですね(笑)。

 そしてパスー・ツーリスト・ロッジのオーナーは叔父イカエット・シャーです。本業は銀行のマネージャーで、いつ見ても優しそうな叔父は、よく甥のベーグにいじめられています。
 ホテルはカラコルム・ハイウェー沿いにあります。こちらはシルクルート・ロッジ並みの大きな設備、グッド・ツーリストクラスです。ニューパスーというエリアにあります。

 それからパスーのシスパー・ビュー・ホテル。うちのガイドもしてくれるアジィームのお父さんのホテルです。シスパーリ(7,611m)が目の前に見える好立地にあります。やはり村の中心からは離れていますが、カラコルム・ハイウェー沿いです。このホテルはキャンプ・フィーを払ってキャンプするのも良し、というところです。お部屋はバック・パッカーさん向けといえましょう。

 あ、もうひとつ。
 グルミットに戻ります。親戚ではないのですが、大好きなホテルです。名前はマルコポーロ・イン・ホテルです。お庭にいつも花が咲き乱れ、私はここでお茶を飲むのが大好きです。最近、アネックスとして新しい建物ができて、タポプダン峰を眺める景色がちょっと悪くなってしまったのが残念!
 こちらは、英領になる以前の、フンザの本当の藩主(ミール)ファミリーが経営しています。当主はラジャ・バドルハーンさんです。グッド・ツーリストクラスのホテルですね。こちらもお料理が美味しいのですよ。

 しかし・・・書いていて思ったのですが、ホテルもさることながら、オーナーの伯父・伯父たちの個性も風貌もそれぞれ際立っていることを実感。顔写真も是非、お見せしたいところですが、ないのが残念!

 書いているうちに、また親戚だらけの話になってしまいましたね。

 全部、伯父か叔父としましたが、実際は大叔父の人もいます。親戚を呼ぶときの感覚が日本とは違うので、わかりやすく書きました。
 例えば、向こうでは、祖父母のきょうだいは私にとってすべて祖父母という考え方です。私は嫁いだ後、祖父母がたくさんできて、最初は嬉しく感じたものです。とはいうものの一番最初は、知らない幾人もの人に、「お前は私の孫だ」と言われ、すごく驚きましたが・・・・・・。カルチャーショック!
 同様で、叔父、叔母はもっとたくさんいるわけです。今日、ご紹介させていただいたオーナーたちから見ると、私はすべて「姪っ子」になり、実際彼らから「ハリヤーン(姪っ子)!」と呼ばれています。

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by silkroad_caravan | 2007-05-23 19:33 | フンザ
 フンジュラーブ峠の思い出 + 空港から国境まで親戚だらけの巻
 弊社のHPフォトギャラリーの作業をしていて、中国・パキスタン国境フンジュラーブ峠の写真で手が止まりました。久しぶりに見るフンジュラーブ峠。ユーラシアを横断する旅人たちの憧れの地点でもある標高4,700mの平和な国境です。ハイウェー上にある国境としては、世界で一番高いところにある、といわれます。
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 パキスタン北部をご旅行されるお客さまたちも、ツアーでよく行かれるところです。外国人のお客さまたちは、(こちらから見ると)パキスタン、裏から見ると中国、と書いてある石碑をバックに、記念写真を撮られます。よく、制服を着たニコリとも笑わないパキスタン国境警備隊に、一緒にスナップに入ってもらっている方々も見かけます。その後、みなさんはどんなに長くても!30分程度過ごして引き返す、あるいは国境をまたいで去っていきます。空気が薄いですから。

 この写真は8月の景色です。婚約時代に、ベーグと義妹と共に、ジープに乗ってピクニック気分で出かけて行きました。お花が咲き乱れ、遠くでヤクが草を食んでいます。ここは、フンザカラコルム世界との分岐点、国境の向こうはパミールを経て、遥かなる中国側のシルクロード
 さて、お茶やアンズ、ビスケットを食べた後、私はひとりで、写真左手にあるクンジュラーブ氷河まで歩いてみることにしました。5分か10分で氷河のたもとまで行けるように思えたのです。
 しかし、甘かった。歩いても歩いても氷河にたどり着きません。15分も歩いて、まだまだ着かないと気付き、あきらめて引き返しました。(こういうところに来ると遠近感というものがなくなってしまうんだなぁ・・・と実感)。

 どこに行っても親戚だらけ ~国際空港から国境まで~
 この写真を見て、もうひとつ思い出したことがあります。
 帰りがけ、国境警備隊の小さなオフィスに寄り、挨拶をした時のことです。実はこういったシーンで、私が注意することが、ひとつあります。現地の人と会う時、私は、初対面の相手を、親戚だと思って挨拶するようにしている、ということです。
 それは初対面の人と挨拶し終わった後に、その人が親戚だった、とわかることが経験的にあまりにも多いからなのです。このため、失礼がないように全部、親戚、と思っておくことにしています。もちろん、パキスタンは多民族国家ですから、対面する方が別の民族だった場合は違いますヨ。
 案の定、人の良い、初老の警備隊のおじさんは、遠い親戚でした。それから、よもやま話をして、うちの庭で取れたアンズを、袋ごと差し上げて帰って来ました。
 
 夫ベーグは、中央アジア系タジクのワヒ族という民族です。フンザは、ブルショワスキー人とこのタジク系ワヒ族で構成されています。
 ワヒ族はアッパーフンザの他にも、パキスタン北部のヤシーン地域、ボローギル地域に住んでいます。あとは国境をまたいで中国ウイグル、アフガニスタン、タジキスタンにも・・・(国境の概念も私たち日本人とは違うはずですよねぇ、ユーラシア大陸の思いきりど真ん中・・・)。

 で、ワヒ族も現在は、パキスタン国内各地に仕事で散らばっている住んでいます。このため、イスラマバードの国際空港から、国境の警備隊まで、驚くほど親戚だらけなのです。これには本当に!びっくりします。
 親戚の人に会うと、ベーグは後で、家系図を書き、説明しようとするのですが、正直、うんざり。9代前まで軽く記憶している彼らですが、何度聞いても私には覚えられない。”おじいさんの兄弟のお嫁さんの兄弟”というような説明なワケです。そんな私の気持ちをヨソに、「親戚作るのは私たちの趣味だからさ」、とベーグにいわれると、もう笑うしかない^_^; もちろん、彼らがなぜそのように強固な親戚網を築いてきたかという理由は、彼らと同じ環境下で、共に生活していれば見えてくるし、殊に厳しい自然環境で生きていく上での知恵、というものが感じられます・・・というわけで、10年たっても親戚を覚えきることは絶望的な私。
 もっともこの親戚人脈で、どこに行っても何をしても、頼れる人がいるわけで、心強いし、もちろん当然のことですが、これが我われの仕事上、どれだけ役に立つことか~~~。あらゆる職業の親戚が、あちこちで働いているわけですから。コネクションでいかようにも対応が変わるパキスタンなのでした。

 親戚だらけの別の側面としては、フンザの田舎で犯罪などが起きない、というようなこともいえます。フンザは治安が良く、警察など要らない、とよくいわれますが、そもそも全部、見られているし、悪いことなどできやしないのですね。
 私もどこに行っても、何をしても知られてしまうので、ちょっと疲れることがあります。散歩に行き帰宅すると、どこに行っていたか、すっかりバレている、というような調子かな。夫婦ゲンカして気晴らしに外に出ても、夫は私がどこに出かけたか、知っていたりするわけです。私自身だって、アテもなくフラッっと出かけているのに(ーー;) 彼ら、視力がとても良いことも手伝って、どこにいても見られてしまう。ブッシュマンなみの視力を持つワヒ族でもありました。

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by silkroad_caravan | 2007-05-19 20:30 | フンザ
 ラホール取材物語その2 
 ベーグが取材コーディネートで従事した NHK BS-1 ドキュメンタリー『アジア大回廊 ~中国からパキスタンへ2万キロを行く』第5話~国境の道・友好の道~については、先日も触れましたが、今日もラホールの話をちょっと書いてみます。

 ムガールの都ラホールの、いにしえの城壁に囲まれた旧市街の中に、バードシャヒー・モスクラホール・フォートが向かい合うように建っています。

テクサリー門からその旧市街に入ると、バードシャヒー・モスクのすぐ裏手にあたる通りに、ヒラマンディという歓楽街があります。昼間は人影も見えぬほどの静かなこの通り、夜は世界が一変し、音楽と光が溢れるのです。そこにはタブラやグングルー、パエル(楽器)が鳴り響き、踊りを見せてくれる店が軒を連ねています。このエリアにはムガールの時代から公の売春通りもありました。

 Cooco's Denレストランはそんあ一角にあります。建物自体が歴史を感じさせる古いもので、ひとり通るのがやっとの狭い大理石の階段を上がっていくと、3階と、その上の屋上がレストランになっています。パキスタンのお金持ちたちや、世界中のVIPもお忍びでやってくるというこのレストラン、もちろん全予約制です。ムードある店内からは、眼下に世界遺産の夜景、バードシャヒー・モスクのミナレット(尖塔)やラホール・フォートが広がります。
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 バードシャヒー・モスクのミナレットが、レストランの窓のフレームを通して、目の前に屹立する風景を写真に撮ってきたよ、とベーグから最初に見せられた時、私はつかの間、うっとりとしてしまいました。

 オーナーでアーティストのイクバル・フセインさんは、このCooco's Denの土地に、生れ育ちました。若い時はワルでならしたというフセインさん、18歳の時に人生の師と出会ったそうです。「あの時、彼に出会わなかったら、今の私はなかったでしょう」と、語るフセインさん。父を知らぬ彼は、「師は父でもあった・・・」と語っています。そこから芸術の道も花開き、現在は大学の教鞭もとっていらっしゃいます。
 
 建物の一階はレセプションですが、彼の絵のギャラリーにもなっていて、絵の売り上げ金はヒラマンディの孤児の救済や教育のスカラーシップに使っていると聞きました。

 以前は、通りを歩くのもはばかれたこの通りに、今は国内外のVIPたちが訪れ、このレストランの食事とそこから見える風景を楽しまれるようになったのです。イクバルさんの「私は今、幸せです」という言葉に、彼のこれまでの苦労に満ちた道のりが感じられます。

 私は、ベーグから聞いた、イクバルさんの人生~ヒラマンディの歴史に聞き入ってしまいました。そのドラマはあまりにも深く、聞きかじりを書くのも失礼なお話で・・・そもそも筆の力及ばずではありましたが、ほんの少しだけ・・・レストランからの風景と共にお届けいたします。
 未来に、弊社のお客様となられる方がいらっしゃいましたら、ヒラマンディのストーリーの続きをお聞かせできるかも知れないですね。
                                          ただいま撮影中!d0106555_3125766.jpg







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by silkroad_caravan | 2007-05-17 03:09 | パキスタンあれこれ
 シムシャールでスキー 世界で初めて!
 パキスタン北部アッパーフンザ、ゴジャール地区のシムシャール村(標高3,100m)。フンザの中でも最奥の村、秘境中の秘境です。峠の向こうは中国シルクロード、というこの村に、一昨年の冬、村人達悲願のジープ道が、細々ながらも開通しました。
 おカミは、うちの近所の人が撮った、ジープ道開通式で涙するシムシャールの村人の映像を、ホームビデオで感慨深く見ました。これで、ジープのみではありますが、カラコルム・ハイウェーから直接村へアクセスできるようになったのです。これまでは登山家たちが、エクスペディション(登山遠征)で苦労の末、辿り着いたシムシャール村でした。

 弊社では、一昨年の夏のジープ道開通まもなく、お客様であり友人でもある伊藤さんグループ6名さまをシムシャールへお連れしました。夫ベーグはこの村に親戚が多いため、村人達にしてみると、ジープ道開通にともない、ベーグがお客様と、日本人のヨメさん&赤ん坊を同時に連れて来た、ということで大歓迎してくれました! あの時は毎日、昼となく夜となく宴が続いたものです。---ご覧になりたい方はこちら---。
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 と、ところが先日、フランスのシャモニーの知り合いブルーノから、こんな写真が届いたのです。なんと彼ら一行は、シムシャールでスキーしてきたのでした。アレンジしたのは、ベーグの親友イサク。ストイックに登山ではなく、豪快にスキー! 
  ブルーノから了解をいただいたので、他の写真をご覧いただきましょう。
           All Photos Copyright Reserved by Bruno.
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 しっかし、シムシャールの村人はどんなに驚いたことでしょう。
”歩かないで、そんなに早く山を降りられる道具があるなんて”ってね。

 ちなみにシムシャール村を歩いていると、真っ黒に日焼けした小柄な農民のおじさんがK2やナンガ・パルバット、ブロード・ピーク、ガッシャーブルムなどを登頂している人だったりします。この村は、優秀な登山家を輩出している村でもあるのです。私も、パキスタン大統領から授かったという勲章を見せてもらいました。どうして彼らがそんなに優秀な登山者なのかは、シムシャール村に滞在している間に見えてくるものがあります。彼らは非常に過酷な自然環境下で実にたくましく生きています。

 ブルーノさんたちは昨日、無事、フランスへの帰国便に搭乗されました。機中の夢の中では、まだシムシャールを華麗に滑っているかも知れないですね。
 ※この写真、通信から遮断されたシムシャール村から、ブルーノがサテライト利用してEメールを送り、イスラマバードに届きました。本人達がまだ現地にいるくらいのタイミングに日本のみなさんがブログで写真を見れるなんて、すごい時代ですね。

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by silkroad_caravan | 2007-05-15 16:46 | フンザ
 イスラマバード-ギルギット(チトラール)間に新しい飛行機 !!!
 世界の屋根カラコルム・ヒマラヤ上空を長く飛んでいた、国内線フォッカーが老朽化し、その不具合から2006年に政府が飛行禁止して以来、新しい国内線は待たれていました。この間、軍用機を旅客用に使用したり、新しい飛行機のトレーニングを続けていたナショナルフラッグ、パキスタン航空に、ついに新しい飛行機が飛び始めています。
 この新しい国内線の登場を心待ちにされていたパキスタン・ラバーズは多いですよね。フォッカーは気流の非常に厳しいカラコルム・ヒマラヤ上空を有視界飛行で飛んでいました。ですから”飛んだらラッキー”と思うほどの不安定運行は仕方のないものでしたが、今後は、以前よりは安定的に1日2便運行される予定です!!! 飛ぶ高度もこれまでより高く、かといって、眼下の素晴らしい峰々を見とれるのに遠すぎない飛行高度が予定されています。乗客80人乗りです。(※ただし、大きな団体ツアーには使われるかは、難しいところでしょう)。

      新しく買った飛行機ゆえ、窓ガラスも新しい! 機中より写真も美しく撮れました
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 思い起こせば、弊社の去年のお客様が、一時的な措置として軍用機のご搭乗となり、びっくりされていたご様子が思い出されます。それはそれで楽しまれていらっしゃいましたけれど^_^; 軍用機にもかかわらず、写真も撮っていいよ、という軍人さんの太っ腹な対応にもお喜びの様子でした。写真撮影のご旅行でしたので。ご覧になりたい方はこちら

 おカミも、観光でのお客さま向けとしてはもちろんのことですが、パキスタン北部の人々が、病気で都会に出たり、大事故で搬送されたり、帰省などなどに、新しい飛行機が利用されるようになると思うと、とても感慨深いです。これで今まであきらめていたことも実現するようになるでしょう。

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by silkroad_caravan | 2007-05-15 15:25 | パキスタンあれこれ
 フンザの巨大児 ~我が家の日系フンザ男児のハナシ
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 「あぁ~~~うぅ~~~ あぁ~~~うぅ~~~」毎朝5時、家族が寝静まっている寝室に大きな唸り声が響きます。生後5ヶ月の赤ん坊が毎日、この時間に目を覚まし、うなるのです。
 (仕事していて3時間前に寝たばかりだから、もうちょっと寝かしてくれないかなぁ)、そんな風に思い我が子を見つめながら、母乳をあたえて、ほどなく「ぎゃ~~~」と叫ぶのは私の番。思いっ切り噛まれたのです。
 (・・・そうだ、歯が生えてきたんだねぇ)。昨日、ちっちゃな小さい歯が2本生えてきていたことを発見したばかりでした。母が小さくため息をつくそばから、もみじのような手で私をバシバシたたいたり、髪を引っ張ったり、にっこり笑ったり忙しい息子です。

 若いとはいい難くなりつつある齢にムチ打って、最近、子を産みました。出てきてビックリ、4キロもあるデッカい赤ちゃんでした。玉のような男の子、そういう感じです。私は彼と対面し、すべてを納得しました。妊娠後期に、辛くて辛くて仕方がなかったワケを。
 (こんなに大きかったんだね・・・)。
 出産は、尊敬する、そして大好きな中田民子院長先生の助産院でお願いしました。助産院ですから、子どもの性別も身長や体重も、出てくるまでのお楽しみでわかりませんけれど、まさか、エンピツのような体型の私に、こんなデッカイ子が入っているとは夢にも思いませんでした。どうりで歩けないし、痛くて夜寝れない、寝返りも打てない、寝ると起き上がれない、夫ベーグに引っ張ってもらって、やっとノロノロ起き上がる私でした。お風呂に入るのはかなり困難、湯船に浸かると、もう二度と出られないのではないか、と思うほどのしんどさ。爪も切れませんでしたし。足の先が見えないから。よくこんな大きい子が入っていたものです。

 ←巨大児?!d0106555_10594158.gifで、タイトルのフンザの巨大児ですが、本当は言葉としては正確ではありません。フンザでは出生時4キロクラスは普通です。現代の日本と違い、フンザでは(他の少なからぬ外国でもそのようですが)、今も胎児が大きく育てば育つほど良い、という考えのようです。だから、まわりの女性が子どもを(少なくても)5人程度は産んでいるように見うけられる故郷フンザのパスー村で、4,000グラムで大騒ぎしている私を知ったら、笑われるのがオチですが。
 向こうは高地で空気が薄いのはもちろん、自然環境が大変過酷です。女性の労働も厳しいですから、胎児は大きく育つに越したことはないのだろうな、と思います。(あ、でも、妊娠がわかった時から、大家族制の下、労働は相当免除されます。まわりの人々の、妊婦へのケアは、それはしっかりしたものです。私もあれやるな、これやるな、といわれっぱなしの妊娠ライフも過ごしました)。
 
 助産院での話に戻ると、中田先生に「巨大児。お父さんのDNAだねー」といわれました。これまで7,600人の赤ちゃんを取り上げられている先生にいわれると説得力がある。
 この間も息子の乳児検診で保健婦さんからいわれました。「赤ちゃんが出生時に4キロを超えているると、お母さんの糖尿病の可能性を疑わなければならないのですが、ベーグさんの場合は、どう考えても違いますね。お母さんがベーグさんのように痩せていても、お父さんが外国人の方だと、こういうケースがよくありますよ。母体の器の許容量を超えるくらい大きい赤ちゃんってことなのね。お父さんのDNAの問題よ」。

 またしてもDNAか。こうして当たり前といえば当たり前なのですが、DNAを実感した私。
 息子はその後、日本語とペルシャ語で名付けされ、毎日うなりながら、すくすく育っています。当初は、ただただでっかくブサイクな我が子を見て、”フンザのブーちゃん”、と読んでいた私ですが、最近はずいぶん可愛くなりました。目はアーモンド型で、今にも落ちそうなほど大きく、髪の毛はくるり、とウェーブがかかっています。大きなおメメだね、とよくいわれますが、ひとたびフンザに帰ると、これでもずいぶんサッパリ系に見えるのです。フンザの赤ちゃんは、さらに目は大きく、まつ毛は長く、鼻も高いのです。赤ちゃんの鼻が高い、というのも、日本人の私としては、驚くことなのですが。

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by silkroad_caravan | 2007-05-14 14:01 | フンザ
 ラホール取材その1 ~ラホールを観ずして、なにを観る~
 弊社が取材コーディネートさせていただいた NHK BS-1 ドキュメンタリー『アジア大回廊 ~中国からパキスタンへ2万キロを行く』第5話~国境の道・友好の道~が一昨日、放映になりました。アジアの新しい物流の大動脈を、中国からパキスタンまで10ヶ国、陸伝いに取材した内容でした。ご覧になられた方、いらっしゃるでしょうか。

 今回のパキスタン部分の撮影は、主にラホールでおこなわれましたので、番組テーマとは離れますが、撮ってきたラホール名所旧跡の写真を何枚かお見せいたします。
 パンジャーブ州の州都であるラホールは、古都として知られており、歴史の香りを今もそのまま残す、南アジアで最も美しい街といわれます。タイトルにも書いた通り~ラホールを観ていない人は、何も観ていない人に等しい~と形容されるほどです。
 世界中の首脳やVIPが訪れる時も、イスラマバードが首都にもかかわらず、国際線をラホールからアクセスされ、この美しい都に滞在されることが多いのです。 
 文化の都でもあるラホールですが、それは歴史的にということだけでなく、現在もあらゆる絵画、音楽、文学、映画などのアート・シーン、ファッションやトレンドも、この街から発信され続けているのです。つい目がいってしまうのが、女性達がおしゃれで颯爽としていることですよね! その姿は、オフィスやホテルなどワーキング・シーンでもよく目にします。
All photos by Silkroad caravan  
d0106555_18134652.jpgバードシャーヒー・モスク 17世紀にムガール帝国の皇帝の命により建てられました。世界有数の規模を誇り、10万人が一度に礼拝できます。昼間、素晴らしいのはもちろん、夜空に浮かび上がるその荘厳なる姿も、忘れがたい美しさといえましょう。

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ラホール駅/パキスタン全土、また国境を越えてインド、デリー行きの列車が発着します。観光客も、駅を見るためだけに訪れます→


↓ラホール市庁舎もこの美しさ
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    ラホールは”パキスタンの心”なのです
   ↓ラホール城のアーラムギーリ門
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 ラホーリーはパンジャーブにありながらも、パンジャーブのアイデンティティというよりは、ラホール独自のアイデンティティ、誇り、自由な心を持っています。それは強烈なもので、老人から若者まで等しく、我が街ラホールに誇りにしている、と。そしてそのラホーリーのメンタリティーは、実に解放的で、ゲストを歓待する心をいつも持っているのだそうです。

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by silkroad_caravan | 2007-05-08 18:06 | パキスタンあれこれ
 お見合いならず~ サドルディーンのフンザあんず便り
 友人のサドルディーンが、フンザからイスラマバードに戻ってきました。彼は同業者で、今回は、仕事で日本のNGOをスカルドにお連れしてきたそうです。
 サドルから日本のみなさんへのメッセージは以下のとおりです。「今年も美しいあんずの花がフンザの谷を染めていました。珍しかったのは、あんずの花咲く谷に雪が降る、という1シーンもあったことです。それは幻想的な風景だったそうです。
 名残り雪は日本でも時々、降るそうですね。われわれフンザ人は、慶事に、肩の上に小麦をほんの少しのせて祝う風習があるのですが、これと同じく、白いもの~雪がこの時期、降りてくるのは、良いことが起きる前兆と考える習慣があるんですよ」。
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さて、ニュース その1: みなさんがサンライズ・ツアーに行かれるドゥイカルまでの道は、これまでジープしか登っていけないオフロードでしたが、今年から乗用車でも登れる道路に生まれ変わります。楽になりますよ。
ニュース その2: アルティット城ですが、昨年に続きアガ・ハーン財団による修復作業をおこなっています。観光客のみなさんが訪れることができるのは、2008年になりそう。
ニュース その3: 雪に閉ざされていたパキスタン・中国国境クンジュラーブ峠(4,700m)が5月1日にオープンしました。遅れることなく例年通りです。旅行者の車や、荷物を満載したトラックが往来し始めています」。

 サドルディーン(Sadruddin)は、欧米人を主な顧客とし、登山やトレッキングを手配をしているNorth Pakistan社でオフィス・ワークをしています。夫ベーグと同じくフンザ出身。彼らは兄弟のように仲がよく、彼は弊社のオフィス・ワークもよく手伝ってくれます。2005年に起きたパキスタン北部大地震(M7.6)に際しては、私たち夫婦が立ち上げた義捐金&直接支援活動にNorth Pakistan社が加わり、その後、日仏合同の活動となりました。彼はそのとき、共に汗を流した仲間でもあります。

 仕事を終えた後、彼は1年ぶりにフンザの実家にも里帰りしてきました。実は、お嫁さん候補を探しに行っていたのです。・・・けれど、うまくいかなかったみたい。
 フンザでは、今でも多くがお見合い結婚です。ほとんどの若い男女が大家族制度の下、お見合い結婚をし、幸せに暮らしています。サドルも、(あの娘さんとお見合いしてみたいな)、と思える候補を探しにいったのでしょうが、ピッタリくる出会いがなかったのでしょう。d0106555_44557.jpg
 ノース・パキスタン社のスタッフは、ちょっとワーカホリック気味で、そんな理由も手伝って社長以下、妙齢の独身男が揃いも揃って勢ぞろい。サドルディーン、現在36歳。本人曰く、「結婚したいと思っていたけれど、最近、その気持ちももう通り過ぎてしまったよ、もう、しなくてもいいかな~」。まるで、日本の友人たちから聞くかのようなセリフの気もしますが、フンザ人らしからぬ発言ではありますねぇ~(^・^)。次回の里帰りにはがんばって欲しいものです!

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by silkroad_caravan | 2007-05-07 04:14 | フンザ



フンザへ嫁ぎ、パキスタン政府公認現地旅行会社&取材業に励む日本人女子が綴る仕事最前線やスローライフ。アフガニスタン取材も得意。Silkrad Caravan Tour, TV Media coverage
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